ホーム 映画・ドラマ 永野芽郁の幼少期はどんな子?8歳の吉祥寺スカウトから女優への転機まで徹底解説

永野芽郁の幼少期はどんな子?8歳の吉祥寺スカウトから女優への転機まで徹底解説

土森 弦 土森 弦 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

永野芽郁の幼少期は、テレビが大好きで、外で遊ぶことを好む、よく笑う活発な子供だった。芸能界に入ったのは小学3年生の頃。吉祥寺の商店街でスカウトされたことがきっかけだったが、当時は女優になりたいという夢を持っていたわけではなかった。本人も、最初はテレビのバラエティ番組に出演できると思っていたと振り返っている。

ところが、芸能事務所に入って最初に始まったのは演技レッスンだった。人前でセリフを言うことが恥ずかしく、仕事を辞めたいと思った時期もあったという。そんな永野芽郁が、どのように子役時代を乗り越え、女優という仕事に向き合うようになったのか。母親や兄との家族エピソード、中谷美紀との出会い、映画『繕い裁つ人』で迎えた転機まで、本人のインタビューと所属事務所の公開情報をもとにたどる。

【幼少期の永野芽郁】どんな子供だった?兄との微笑ましいエピソードも

永野芽郁幼少期

永野芽郁の子供時代を知るうえで興味深いのが、本人が過去のインタビューで語った幼少期の性格だ。

2015年10月、Lmaga.jpのインタビューで「小さい頃はどんな子だった?」と尋ねられた永野は、兄との違いを交えながら当時を振り返っている。

兄が泣き虫だったのに対し、永野は一人で放っておかれても、ずっとゲラゲラ笑っているような子供だったという。

加えて、兄の足をなぜか噛んでいたというエピソードも披露。本人には当時の記憶がないものの、その様子は写真に残っていると明かしていた。

この話からは、幼い頃から明るく、好奇心旺盛だった様子がうかがえる。

外遊びが大好きで、芸能界への憧れはなかった

永野芽郁は、芸能界に入る前から女優やモデルを目指していたわけではない。

2017年のDeviewのインタビューでは、スカウトされる前の生活について、テレビは好きだったものの、モデルや女優になりたいとは考えていなかったと語っている。

むしろ、外で遊ぶことが大好きだったという。

モデルの仕事では日焼けを気にする必要があることも、当時の自分には魅力的に感じられなかったようだ。

つまり、永野芽郁の芸能活動は、本人が幼い頃から描いていた夢を実現したものではなく、偶然のスカウトから始まったものだった。

明るい性格と人前での恥ずかしがり屋な一面

一方、仕事の場では、幼少期の明るい性格とは異なる一面もあった。

後年のインタビューで永野は、人前でセリフを言うことが恥ずかしく、演技レッスンにも積極的になれなかったと振り返っている。

普段はよく笑い、活発に過ごしていた子供でも、演技となると別だったのだ。

このギャップは、永野芽郁の子役時代を理解するうえで見逃せないポイントである。

【8歳でスカウト】永野芽郁が芸能界に入った場所は吉祥寺サンロード

永野芽郁が芸能界に入るきっかけとなったのは、東京都武蔵野市にある吉祥寺の商店街だった。

スカウトされた場所は、吉祥寺駅周辺にある吉祥寺サンロード商店街。

本人が複数のインタビューやテレビ番組で語っているエピソードである。

靴を選んでいるときに声をかけられた

2021年10月放送の日本テレビ系『ザ!世界仰天ニュース』では、永野芽郁が8歳の頃の写真を公開した。

その写真について、本人は事務所に入って初めて撮影した宣材写真だと思うと説明している。

加えて、スカウトされた当時の状況についても明かした。

母親と一緒に靴屋で靴を選んでいたところ、芸能事務所の関係者から声をかけられたという。

永野はスカウトという言葉の意味もよく理解しておらず、芸能事務所がどのような場所なのかも知らなかった。

母親からテレビに出ている人たちがいる場所だと説明されると、テレビに出演できるのだと思い、興味を持ったという。

2017年のインタビューでも、吉祥寺サンロードで声をかけられた当時のことを振り返っている。

当時は芸能界への特別な憧れがあったわけではなく、テレビの世界に対する素朴な興味が出発点だった。

「8歳」と「9歳」の表記がある理由

永野芽郁のスカウトについて調べると、8歳と紹介されている記事もあれば、9歳と記載されている報道もある。

これは本人の発言や報道によって表現が異なるためだ。

情報源・時期 年齢・時期 内容
2015年 Lmaga.jp 小学3年生 吉祥寺でスカウトされたと本人が説明
2021年 日本テレビ系番組 8歳 初めての宣材写真とスカウト場所を紹介
2022年 TBS系番組の報道 9歳 吉祥寺でスカウトされた経緯を紹介
2024年 TBS系番組の報道 8歳 事務所入りと当時の気持ちを本人が回顧

1999年9月24日生まれの永野にとって、小学3年生は8歳から9歳にまたがる時期に当たる。

そのため、年齢の表記だけでスカウトの経緯を別の出来事と考える必要はない。本人が語っている中心的な事実は、小学3年生の頃に吉祥寺でスカウトされたという点だ。

永野芽郁の幼少期写真はどんなもの?

幼少期の写真については、2021年の『ザ!世界仰天ニュース』で公開された宣材写真が代表的なエピソードとして知られている。

本人によれば、事務所に入って初めて撮影した宣材写真だと思うとのことだった。

また、兄の足を噛んでいたという話にも、写真が残っているという本人の証言がある。

ただし、テレビで紹介された宣材写真と、幼少期の家庭内で撮影された写真は別のものだ。

幼少期の写真を探す際には、本人がテレビやインタビューで紹介した写真と、出所が明確でないインターネット上の画像を混同しないことが大切である。

【演技レッスンが嫌だった?】永野芽郁の子役時代と母親との約束

芸能事務所に入った永野芽郁が最初に取り組んだのは、演技レッスンだった。

しかし、本人が期待していたのはバラエティ番組への出演。レッスンが始まった当初は、思い描いていた芸能活動との違いに戸惑っていた。

2024年5月、TBS系『人生最高レストラン』に出演した際には、当時の気持ちを詳しく語っている。

バラエティ番組に出たいのに、始まったのは演技レッスン

永野は、テレビで見ていたバラエティ番組に自分も出演できると思っていた。

しかし、実際に事務所へ入ってみると、最初に待っていたのは演技の勉強だった。

ドラマの役柄によって俳優の人物像が変わることも、幼い永野には不思議だったという。

セリフを覚えて演技することにも抵抗があり、思っていた仕事と違うと感じるようになった。

2022年のMAQUIAのインタビューでも、当時はバラエティ番組に出演するつもりだったため、演技レッスンでセリフを言うことが恥ずかしかったと振り返っている。

母親が決めた「始めたら1年間は続ける」という約束

芸能活動を辞めたいと思う永野に対し、母親は一つの約束を設けていた。

それは、やりたいことは何でも挑戦してよいものの、一度始めた習い事や活動は、1年間続けるというものだった。

2024年の『人生最高レストラン』で本人が明かしたところによると、永野は約1年間、一人で電車に乗って演技レッスンに通っていた。

当時は、なぜ自分がこの時間を過ごしているのだろうと感じていたという。

しかし、その期間に周囲の人々との関係が変わっていく。

先生や仲間の励ましで演技が楽しくなった

永野はもともと恥ずかしがり屋で、一人でセリフを言うことにも抵抗があった。

そんな彼女を支えたのが、演技レッスンの先生や同世代の仲間たちだった。

周囲から挑戦を促され、先生にも励まされるうちに、少しずつ人前で演技することへの抵抗が薄れていった。

本人は、徐々に自分の殻を破れるようになり、演技が楽しくなっていったと振り返っている。

このエピソードから分かるのは、永野芽郁が最初から演技の才能を自覚して女優を志したわけではないということだ。

むしろ、最初は興味のなかったレッスンに通い続け、周囲の人たちとの関わりを通して演技の魅力を知っていった。

母親との約束が、結果的に女優としての第一歩を支えることになったのである。

【2009年に女優デビュー】子役時代から『繕い裁つ人』までの経歴

永野芽郁の芸能活動は、スカウト後のレッスンだけで終わらなかった。

所属事務所スターダストプロモーションの公式プロフィールによると、2009年に映画で女優デビューしている。

その後、映画やテレビドラマ、ファッション誌のモデルなど、活動の幅を広げていった。

永野芽郁の子役時代・年表
年・時期 主な出来事 内容・転機
小学3年生頃 吉祥寺でスカウト 芸能事務所に所属
2009年 映画で女優デビュー 『ハード・リベンジ、ミリー/ブラッディバトル』
2010年 映画・モデル活動 『ゼブラーマン2』などに出演。『ニコプチ』でも活動
2013年 雑誌モデルとして活動 『nicola』のレギュラーモデルに
2013年 NHK大河ドラマ出演 『八重の桜』で山川常磐役
2015年 映画『繕い裁つ人』 中学2年生頃の経験が女優としての転機に
2015年 映画『俺物語!!』 ヒロイン・大和凜子役に抜擢
2018年 朝ドラヒロイン 『半分、青い。』で楡野鈴愛役
2026年 27歳 映画・ドラマなど幅広く活動
子役として映画やドラマに出演

2009年の映画デビュー後、2010年には『ゼブラーマン2 -ゼブラシティの逆襲-』や『私の優しくない先輩』などに出演。

テレビドラマでは、2010年の『ハガネの女』で主人公の幼少期を演じた。

2013年にはNHK大河ドラマ『八重の桜』にも出演している。

また、モデルとしても活動し、2010年から『ニコプチ』、2013年から『nicola』で経験を積んだ。

女優だけに活動を限定せず、モデルや映像作品など複数の分野に挑戦していたことが、子役時代の特徴だ。

中学2年生の『繕い裁つ人』が大きな転機に

永野芽郁が女優を続ける覚悟を固めた作品として挙げているのが、三島有紀子監督の映画『繕い裁つ人』だ。

2015年1月公開の同作では、中田まり役を演じた。主演は中谷美紀だった。

永野がこの作品に参加したのは中学2年生の頃。

撮影は神戸で行われ、実家を離れて過ごす時間もあった。体調を崩したこともあり、心細い状況だったと後年のインタビューで振り返っている。

それまでなら母親に弱音を吐いていたような場面でも、自分で病院に行き、薬をもらって撮影に向かうことができたという。

その経験を通じて、自分が仕事として演技に向き合っていることに気づいた。

加えて、主演の中谷美紀からかけられた言葉も大きな意味を持った。

「あなたはお芝居が絶対にうまくなるから、ちゃんと続けたほうがいいよ」

2020年のクランクイン!のインタビューで永野は、中谷からこの言葉をもらったことを振り返っている。

先輩女優からの励ましを受け、もっと演技を上達させて、いつか再び共演できるように頑張ろうと思ったという。

『俺物語!!』のオーディションで新しい環境へ

『繕い裁つ人』を経験した後、永野は映画『俺物語!!』のオーディションに挑戦した。

そして、ヒロインの大和凜子役に抜擢される。

本人は、オーディションを好きになったのは中学3年生頃で、経験を重ねるうちに緊張しすぎずに臨めるようになったと語っている。

子役として経験を積んだ時期から、主演級の役柄を任される女優へと成長する節目になった。

【母親と兄の家族構成】永野芽郁を支えた家庭環境とは?

永野芽郁の幼少期を語るうえで欠かせないのが、母親と兄の存在だ。

2022年8月、TBS系『日曜日の初耳学』のインタビュー企画に出演した際、永野は家庭環境について具体的に話している。

母親・兄・永野芽郁の3人で生活

永野は、母親と兄との3人で生活していたことを明かしている。

本人は母子家庭で育ったことにも触れ、家庭での暮らしについて次のように振り返った。

「明るく、何でもなんとかなる!って感じで生活してきたので、それが今の性格につながってる気がします」

母親が見えないところで大変な思いをしていたことにも触れながら、家庭では明るい雰囲気で過ごしていたと説明している。

こうした本人の発言からは、家庭環境を悲観的に捉えるのではなく、母親との生活を前向きに受け止めてきた様子が伝わる。

母親から教わった仕事への責任感

母親は、永野の芸能活動を単なる習い事として扱っていたわけではない。

撮影やレッスンで弱音を吐いたときには、仕事として取り組む以上、責任を持つ必要があると教えていた。

永野自身も、撮影が夜中や朝まで続いた際、なぜ子供料金の電車に乗る年齢なのに大人と同じように働かなければならないのかと、母親に疑問をぶつけていたと笑いながら話している。

小学生の頃から一人でオーディション会場へ向かうこともあったという。

幼い頃から仕事と学校生活を両立するなかで、母親の教えが行動の基準になっていた。

母親と一緒に楽しんだサーフィン

2022年の『日曜日の初耳学』では、母親と出かけるサーフィンの話も紹介された。

永野は、母親の友人にサーフィンを教えるのが上手な人がおり、初めて挑戦した日から波に乗れたと話している。

また、バイクやドライブ、ドラム、ギター、ピアノなど、さまざまな趣味についても触れていた。

こうした話からは、母親との関係が仕事面だけでなく、日常生活や趣味の面でも近いことがうかがえる。

兄の詳しいプロフィールは公表されている?

兄については、永野本人が幼少期のエピソードを語っているものの、名前や詳しいプロフィール、職業などの情報は広く公表されていない。

2015年のLmaga.jpのインタビューでは、兄が泣き虫だったことや、自分が兄の足を噛んでいたという幼少期の思い出を明かしていた。

一方で、兄のプライベートについて詳しい情報を公表しているわけではない。

家族について知る際には、本人が実際に語ったエピソードと、根拠のない家族情報を区別する必要がある。

【2026年最新】永野芽郁の生い立ちから見える女優としての成長

1999年9月24日生まれの永野芽郁は、2026年11月現在27歳。

所属事務所スターダストプロモーションの公式プロフィールでは、2009年の映画デビューを起点に、映画、ドラマ、CMなど幅広い活動歴が紹介されている。

特に大きな転換点となったのが、2018年のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』でのヒロイン抜擢だ。

楡野鈴愛役を演じたことで幅広い世代に知られるようになり、2019年にはエランドール賞新人賞を受賞した。

その後も映画『そして、バトンは渡された』などで評価を受け、日本アカデミー賞優秀主演女優賞をはじめとする賞を獲得している。

幼少期から現在まで変わらない仕事への向き合い方

永野芽郁のインタビューを時系列で振り返ると、興味深い共通点が見えてくる。

それは、周囲の人との出会いを大切にしながら、自分の仕事に向き合ってきたことだ。

小学3年生の頃は、芸能界の仕組みも女優の仕事も十分に理解していなかった。

演技レッスンでは辞めたいと思い、学校生活との両立に疑問を感じることもあった。

しかし、先生や仲間の励まし、母親から教わった責任感、そして『繕い裁つ人』での経験が、少しずつ本人の意識を変えていった。

最初から女優になる覚悟があったのではなく、経験を重ねるなかで、自分が続けたい仕事を見つけたのである。

永野芽郁の幼少期について広がりやすい誤解

幼少期に関する情報を整理すると、特に次の3点は混同されやすい。

1. 最初から女優を目指していたわけではない

芸能界入りのきっかけはスカウトであり、本人は当初バラエティ番組への出演を期待していた。女優への意識は、演技レッスンや映画出演を経験するなかで変化していった。

2. 8歳と9歳のどちらかだけが正しいとは限らない

本人のインタビューでは8歳という説明がある一方、報道では9歳と紹介されたこともある。小学3年生という学年を軸に理解するのが自然だ。

3. 母親や兄について公表されている情報には限りがある

母親と兄との3人暮らしや、家庭での思い出は本人が語っている。一方、家族の詳しいプロフィールや私生活については、公開された情報と区別する必要がある。

【永野芽郁の幼少期】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:永野芽郁は何歳で芸能界に入りましたか?

A1:小学3年生の頃に芸能事務所からスカウトされました。本人は8歳だったと振り返っていますが、9歳と紹介された報道もあります。

Q2:永野芽郁はどこでスカウトされましたか?

A2:東京都武蔵野市の吉祥寺サンロード商店街です。母親と靴を選んでいたときに声をかけられたと、テレビ番組で明かしています。

Q3:永野芽郁は子役時代から女優になりたかったのですか?

A3:最初から女優を目指していたわけではありません。当初はバラエティ番組に出たいと思っていましたが、演技レッスンや映画の撮影を経験するうちに、お芝居の楽しさに気づいていきました。

Q4:永野芽郁の家族構成は?

A4:本人は母親と兄との3人で生活していたと語っています。兄の詳しいプロフィールなどは公表されていません。

Q5:永野芽郁が女優を続けると決意した作品は何ですか?

A5:中学2年生の頃に出演した映画『繕い裁つ人』です。神戸での撮影経験や主演の中谷美紀からの励ましが、女優を続ける覚悟につながったと本人が語っています。

Q6:永野芽郁の映画デビューはいつですか?

A6:所属事務所の公式プロフィールによると、2009年です。映画『ハード・リベンジ、ミリー/ブラッディバトル』がデビュー作として記録されています。

永野芽郁の幼少期を振り返ると、現在の女優としての姿からは想像しにくい、等身大の子供時代が見えてくる。

テレビが好きで、外遊びが大好き。兄よりもよく笑う明るい性格だった一方、人前でセリフを言うことは恥ずかしく、演技レッスンを辞めたいと思ったこともあった。

芸能界入りのきっかけは、小学3年生の頃に吉祥寺サンロードで受けたスカウトだった。

その後、母親との約束を守ってレッスンを続け、周囲の励ましによって演技の楽しさを知っていく。

そして中学2年生で出演した映画『繕い裁つ人』で、仕事に向き合う自分自身の成長を実感。中谷美紀からの言葉も、女優として歩み続ける大きな支えになった。

永野芽郁は、最初から女優になる夢を持っていたのではなく、経験を積み重ねるなかで女優という仕事を好きになった人物だ。

8歳頃のスカウトから始まった芸能人生は、母親の支え、仲間との出会い、作品を通じた成長によって形作られてきた。

幼少期のエピソードを知ることは、現在の永野芽郁が持つ自然な笑顔や、演技に対する姿勢を理解する手がかりにもなる。

主な確認資料: 本人インタビュー、テレビ出演時の発言報道、所属事務所の公式プロフィール。

同じカテゴリの記事

土森 弦

アニメ・漫画の制作発表を担当。制作会社と出版社の公式告知、原作者コメントを確認してから記事化します。

おすすめの関連記事