藤井風の高校時代は、現在の世界的な音楽活動につながる重要な formative period(形成期)だった。出身高校は岡山県立岡山城東高校。音楽学類のピアノ専攻で専門的に音楽を学びながら、同級生や先輩との交流、バンド形式の演奏、合唱の伴奏などを経験していた。現在の自由度の高い音楽表現につながる土台が、この岡山での3年間に育まれていった。
特に注目したいのは、高校2年生ごろに始めたピアノ・サックス・ベースのトリオ活動だ。加えて、在学中にYouTubeへの動画投稿を休止した背景、ブラックミュージックとの出会い、大学に進学せず音楽の道を選んだ卒業後の経緯にも、藤井風の音楽人生を理解する手がかりがある。2026年11月現在の活動まで、本人の発言、母校関係者の証言、公式プロフィールをもとに整理する。
【出身高校はどこ?】岡山県立岡山城東高校の音楽学類・ピアノ専攻

藤井風の出身高校は、岡山県立岡山城東高等学校だ。岡山市中区にある県立高校で、藤井風は音楽学類に進み、ピアノを専攻していた。
岡山城東高校は、普通科の中に人文社会学類、理数学類、国際教養学類、音楽学類という特色ある学びの枠組みを設けている。藤井風が選んだ音楽学類は、一般的な高校生活に加えて、音楽を専門的に学ぶ環境が整えられている点が特徴だ。
藤井風の場合、幼少期からピアノに親しんでいたこともあり、高校進学はそれまでの経験をさらに発展させる選択だった。3歳からクラシックピアノを始め、父親の影響で幅広い音楽に触れてきた彼にとって、音楽学類への進学は自然な延長線上にあったと考えられる。
ピアノ専攻で学んだことと学校生活高校時代の藤井風は、単にピアノが得意な生徒というだけではなかった。音楽を専門に学ぶ生徒として、演奏技術だけでなく、他者と音楽を作り上げる経験も積んでいた。
2025年10月、RSK山陽放送は、岡山城東高校で音楽を指導していた森野啓司氏への取材を通じて、藤井風の高校時代を紹介した。そこで明らかになったのが、1学年先輩にあたる指揮者・米田覚士との交流だ。
2人はともにピアノ専攻。校内にはピアノが2台置かれた「アンサンブル教室」があり、男子生徒たちが学年を越えて集まって演奏を楽しんでいたという。
森野氏は当時を振り返り、2人について次のように語っている。
「お互いにやっぱり刺激しあってるところはあったと思います」
音楽を教える側から見ても、藤井風と米田覚士は互いに刺激を受ける関係だった。米田は2025年、若手指揮者の登竜門として知られるブザンソン国際若手指揮者コンクールで優勝。高校時代に同じ音楽学類で学んだ先輩が国際的な指揮者として活躍していることも、母校の音楽教育の幅広さを物語っている。ピアノを一人で練習するだけではなく、仲間と音楽を楽しむ時間があったことは、藤井風の高校生活を理解するうえで見逃せない。
【高校時代の音楽活動】ピアノ練習と合唱伴奏、バンド活動の実態
藤井風の高校時代を語るうえで欠かせないのが、専門的なピアノの学びと、学校内外での演奏経験だ。
2025年9月25日、FM802の番組「ROCK KIDS 802 -OCHIKEN Goes ON!!」に出演した藤井風は、リスナーからの合唱伴奏に関する質問に答えている。
本人によれば、合唱の伴奏を始めたのは高校生のころ。演奏するときに意識していたことについて、次のように説明した。
「できるだけ客観的になること!」
加えて、歌とピアノが一つの音楽になるように、少し外側から全体を聴くイメージを大切にしていたという。
この話は、藤井風のピアノ演奏の特徴を考えるうえでも興味深い。ソロ演奏では自分の表現を前面に出せる一方、合唱伴奏では歌う人たちとの呼吸や音量のバランスが求められる。高校時代にこうした経験を積んだことは、後年のバンド演奏やライブで見せる柔軟な音楽性にもつながる要素だ。
高校2年生で始めたピアノ・サックス・ベースのトリオもう一つの注目点が、本人がFM802で明かした高校時代のバンド活動だ。
ピアノを弾くイメージが強い藤井風だが、実は高校2年生ごろに、サックス奏者とベーシストを含む3人編成のトリオを組んでいた。
本人は、一般的なバンドというよりも、ピアノ、サックス、ベースによるインストゥルメンタルの演奏だったと説明している。ドラムなどのリズム隊を加えない編成で、楽器同士のやり取りを楽しんでいたという。
この経験は、現在の藤井風の音楽活動にも通じる。彼のステージではピアノを中心にしながら、ベースやドラムなどの演奏者と一体となったグルーヴを生み出す場面が多い。高校時代の小さなトリオが、現在の大規模なライブ編成と同じものではないにしても、複数の楽器で音楽を作る経験の出発点だったことは確かだ。
また、FM802でのインタビューでは、80年代・90年代のソウルミュージックについて、コード感が豊かな曲が多く好きだとも話している。こうした音楽的な好みが、ピアノを軸にした独特のコード進行や、バンドサウンドへの関心と結びついている。
【吹奏楽部だった?】高校時代の部活動と写真にまつわる疑問
藤井風の高校時代を調べると、吹奏楽部に所属していたという話を目にすることがある。しかし、サックスを演奏できることと、吹奏楽部に所属していたことは別の話だ。
本人が2025年のFM802出演で明かした高校2年生ごろの活動は、ピアノ・サックス・ベースによるインストゥルメンタルトリオだった。また、合唱部の伴奏者としてピアノを担当していたことも、母校を取り上げた報道で紹介されている。
一方、高校の吹奏楽部に正式に所属していたと断定できる本人の発言や学校側の記録は明確になっていない。サックス演奏や合唱伴奏の経験を、そのまま吹奏楽部所属と結びつけるのは正確ではない。
なお、女性自身の取材記事では、中学時代に一時バスケットボール部に在籍していたことが紹介されている。高校時代の音楽活動と中学時代の部活動を混同しないことも大切だ。
2026年に公開された高校時代を思わせる学生時代の写真藤井風の学生時代の写真については、2026年2月22日の本人のInstagram投稿が大きな話題になった。
藤井風は「We miss old black-haired Japanese Kaze」という英文を添えて、黒髪短髪だったころの写真を3枚公開。体操服や制服姿でおどけたポーズを見せる姿、教室で学生机に腰掛ける姿などが写っていた。
ORICON NEWSやリアルサウンドもこの投稿を取り上げ、学生時代の貴重な写真として紹介している。
ただし、投稿された写真について、すべての撮影時期や学年が明示されたわけではない。学生時代の姿として本人が公開した写真と、特定の高校の卒業アルバム写真とは区別して見る必要がある。
それでも、現在のスタイルとは異なる黒髪の短髪姿や、体操服姿で見せるユーモラスな表情からは、音楽家としての一面だけではない当時の雰囲気が伝わってくる。
高校卒業コンサートは開催された?もう一つ混同されやすいのが、藤井風の高校卒業コンサートに関する話だ。
2021年3月、藤井風は母校の岡山県立岡山城東高校を訪問し、恩師の森野啓司氏と再会している。このとき、母校の卒業式で後輩たちに歌を届けようとしていたことが報じられた。
しかし、新型コロナウイルスの影響で卒業式の内容が縮小され、当初の計画は実現しなかった。その後、藤井風はテレビ朝日系「報道ステーション」で卒業する人々に向けた「旅路」のパフォーマンスを披露した。
つまり、話題になっている卒業式での歌唱は、藤井風自身が高校を卒業した2016年ごろのコンサートではなく、2021年に母校の後輩たちへ歌を贈ろうとした出来事だ。両者を混同しないことが、経緯を理解するポイントになる。
【歌手志望の理由】父親の影響とブラックミュージックとの出会い
藤井風が音楽家を目指すようになった背景には、父親の存在が大きく関係している。
公式プロフィールによると、藤井風は幼少期から父親の影響でクラシックピアノを始めた。12歳になると、実家の喫茶店で撮影したピアノカバー動画をYouTubeに投稿するようになり、それが後の音楽活動につながった。
2025年9月にテレビ朝日系「徹子の部屋」に出演した際には、父親が音楽家を目指していたことに触れ、ミュージシャンという夢を引き継いだような感覚があると語っている。
ただし、父親の影響だけで音楽を続けてきたわけではない。本人は、長年地道に活動するなかで、自分の意思で音楽に向き合うようになったことも明かしている。
12〜13歳で出会ったR&Bが自分自身の音楽になった藤井風の音楽的な個性を理解するうえで重要なのが、ブラックミュージックとの出会いだ。
2025年に公開された海外メディア「METAL Magazine」のインタビューで、藤井風は12〜13歳ごろにR&Bに出会ったことが、音楽を自分自身のものとして感じるきっかけになったと説明している。
具体的には、アッシャー、メアリー・J・ブライジ、マライア・キャリーといった現代R&Bのアーティストたちだ。両親が普段聴いていた音楽とは異なるジャンルに、自分自身で興味を持ったことが大きかったという。
この時期は中学生から高校入学前後に重なる。幼少期から身につけたクラシックピアノの基礎に、R&Bやソウルのリズム、メロディー、コード感が加わっていった時期と捉えられる。
FM802のインタビューでも、藤井風は80年代・90年代のソウルミュージックについて、豊かなコード感が魅力だと話している。
ここに彼の音楽の特徴がある。クラシックのピアノ技術を持ちながら、R&Bやソウルの影響を自然に取り込む。その結果、ジャンルを一つに限定できない独自の音楽表現が生まれているのだ。
中学生のころにはアーティストを目指す意識が芽生えていた藤井風が歌手・アーティストを志した理由を考える際、重要なのは、高校入学後に突然夢を持ったわけではないという点だ。
父親の影響で始まったピアノが、YouTubeでの発信やR&Bとの出会いを経て、自分自身の表現手段へと変化していった。2025年の海外インタビューでも、中学生のころには創作や演奏、映像を通じて自分を表現したいという気持ちが芽生えていたことを語っている。
高校時代は、すでに音楽への関心が強くなっていた段階だった。専門的なピアノの学びや合唱伴奏、トリオでの演奏経験は、アーティストとしての基礎を実践的に広げる機会になったと考えられる。
【高校卒業後からデビュー前まで】YouTube投稿休止と大学進学の有無
高校時代の藤井風は音楽に没頭していた一方、YouTubeへの動画投稿は一時的に休止していた。
テレビ朝日が公開したMETROCK 2020の公式アーティスト紹介では、高校時代は音楽漬けの日々を送っていたものの、動画投稿を休止し、高校卒業と同時に自分の意思でカバー動画の投稿を再開したと説明されている。
幼少期から動画を発信してきた藤井風にとって、投稿の休止は音楽そのものをやめたことを意味しない。学校での専門的な学びや日々の音楽活動に時間を使い、卒業後に改めて発信を始めたという流れだ。
大学には進学せず、地元で音楽活動を継続高校卒業後の進路について、女性自身の2022年の取材記事では、藤井風は就職も大学進学もせず、自分なりに音楽で生きていく道を模索したと紹介されている。
活動の中心は岡山の地元だった。曲作りを続けながら、夏祭りや高齢者施設など、さまざまな場所で演奏する機会を重ねていった。
その活動を裏付ける資料の一つが、里庄町社会福祉協議会が発行した2018年7月の広報紙だ。
同資料によると、2018年5月30日に「初夏の風コンサート〜藤井風の世界〜」が開催され、里庄町在住のピアニストとして藤井風が出演。町内外から210人が来場し、多彩な生演奏を楽しんだという。
全国的な知名度を得る前から、地元の人々に直接音楽を届けていたことが分かる記録だ。
藤井風の高校時代からメジャーデビューまでの年表| 時期 | 出来事 | 音楽活動・背景 |
|---|---|---|
| 3歳ごろ | ピアノを始める | 父親の影響でクラシックピアノに親しむ。 |
| 12〜13歳ごろ | R&Bと出会う | アッシャーなどの音楽に触れ、自分自身の音楽的な関心を深める。 |
| 高校時代 | 岡山城東高校・音楽学類に在籍 | ピアノ専攻で学び、合唱伴奏や仲間との演奏を経験。 |
| 高校2年生ごろ | インストトリオを結成 | ピアノ・サックス・ベースの3人編成で演奏。 |
| 高校在学中 | YouTube投稿を休止 | 音楽に打ち込む生活を送り、卒業後に投稿を再開。 |
| 高校卒業後 | 大学に進学せず音楽活動へ | 地元での演奏や曲作りを通じて将来を模索。 |
| 2018年5月30日 | 里庄町でコンサート | 「初夏の風コンサート」に出演。210人が来場。 |
| 2019年初春 | 活動拠点を東京へ移す | 全国の音楽イベントやライブ活動へと展開。 |
| 2020年 | メジャーデビュー | 「何なんw」のMV公開、5月に1stアルバムをリリース。 |
| 2021年3月 | 母校の卒業生へ歌を届ける企画 | 卒業式での歌唱はコロナ禍で実現せず、「旅路」を通じて卒業生へメッセージを届けた。 |
この年表から分かるのは、高校卒業後すぐにメジャーデビューしたわけではないということだ。地元での演奏、YouTubeでの発信、東京への拠点移動という段階を経て、少しずつ活動の規模を広げていった。
テレビ朝日の公式プロフィールでも、2019年初春に岡山から東京へ活動拠点を移し、2019年夏には全国のサーキットイベントや大型フェスに出演した経緯が紹介されている。
2020年には「何なんw」のMV公開とともにデビューし、同年5月にはファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』をリリース。高校時代に培った技術と、卒業後の地道な活動が、プロとしての出発点につながった。
【2026年現在】高校時代に培った音楽性はどう進化した?
2026年11月現在、藤井風は日本国内にとどまらず、世界を舞台に活動するシンガーソングライターとして歩みを続けている。
2025年9月には、3枚目のスタジオアルバム『Prema』をリリースした。全曲英語詞という構成で、R&B、ソウル、ゴスペル、ファンクなどの要素を含む音楽性が展開されている。
幼少期に始めたクラシックピアノ、12〜13歳ごろに出会ったR&B、高校時代の合唱伴奏やトリオでの演奏。これらの経験を振り返ると、現在の藤井風の音楽に複数のジャンルが自然に溶け込んでいる理由が見えてくる。
Prema World Tourで世界へ公式サイトの発表によると、『Prema』を掲げたPrema World Tourは2026年に開催され、アジアを起点に世界各地を巡るツアーとして展開している。
2026年11月4日時点で、これから予定されている日本公演は次の通りだ。
- 2026年11月14日・15日:みずほPayPayドーム福岡
- 2026年12月10日・12日・13日:京セラドーム大阪
- 2026年12月19日・20日:東京ドーム
高校時代にピアノ・サックス・ベースの3人で演奏していた藤井風が、現在は世界規模のライブを展開している。その変化は大きいが、ピアノを中心に音楽を組み立て、仲間と一緒にグルーヴを作るという根本的な姿勢には、共通する部分がある。
また、2026年の活動を見ても、藤井風は一つの音楽ジャンルに自分を閉じ込めていない。全編英語詞の『Prema』は、幼いころから親しんできた多様な音楽と、12〜13歳ごろに自分自身で発見したR&Bへの関心が、長い時間をかけて発展した現在地とも受け取れる。
【藤井風の高校時代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:藤井風の出身高校はどこですか?
A1:岡山県立岡山城東高等学校です。音楽学類に所属し、ピアノを専攻していました。
Q2:藤井風は高校時代に吹奏楽部に所属していましたか?
A2:高校の吹奏楽部に正式所属していたと確認できる情報は明確ではありません。本人が語っている高校2年生ごろの活動は、ピアノ・サックス・ベースのトリオです。また、合唱部の伴奏者としてピアノを担当していたことも知られています。
Q3:藤井風は高校時代にバンドを組んでいましたか?
A3:はい。2025年9月のFM802出演時に、高校2年生ごろ、ピアノ・サックス・ベースによる3人編成のトリオを組んでいたと本人が明かしています。ドラムのないインストゥルメンタル形式でした。
Q4:藤井風は大学に進学しましたか?
A4:女性自身の取材記事では、大学には進学せず、就職もせずに音楽活動の道を模索したと紹介されています。高校卒業後は地元で演奏活動や曲作りを続けました。
Q5:藤井風がYouTubeの投稿を休止したのはなぜですか?
A5:高校時代は音楽漬けの日々を送っており、動画投稿を一時休止していました。テレビ朝日の公式アーティスト紹介では、高校卒業と同時に本人の意思でカバー動画の投稿を再開したと説明されています。
Q6:藤井風はいつ歌手を目指すようになったのですか?
A6:父親の影響で3歳からピアノを始め、中学生のころにはアーティストとして自分を表現したいという思いが芽生えていました。12〜13歳ごろのR&Bとの出会いも、自分自身の音楽を見つける重要なきっかけになっています。
Q7:藤井風の高校時代の写真は公開されていますか?
A7:2026年2月22日、本人がInstagramで学生時代の写真を3枚公開しました。体操服や制服姿などが写っています。ただし、写真ごとの撮影年や学年がすべて公表されているわけではありません。
Q8:藤井風の高校卒業コンサートは開催されましたか?
A8:本人の高校卒業時に開催された特別な卒業コンサートについては、広く確認できる公式記録は明確ではありません。一方、2021年には母校の卒業式で後輩たちに歌を届ける計画がありましたが、コロナ禍で実現しませんでした。その後、「旅路」を卒業生に届けるパフォーマンスが行われています。
藤井風の高校時代は、岡山県立岡山城東高校の音楽学類・ピアノ専攻で学びながら、音楽家としての表現の幅を広げた3年間だった。
特に重要なのは、専門的なピアノの学びだけでなく、合唱伴奏や高校2年生ごろのトリオ活動を通じて、他の演奏者と音楽を作る経験を積んでいたことだ。1学年先輩の米田覚士との交流や、アンサンブル教室でのピアノ演奏も、当時の音楽環境を伝える貴重なエピソードとなっている。
また、歌手を志す気持ちは高校時代に突然生まれたものではない。父親の影響で始めたピアノ、12〜13歳ごろに出会ったR&B、YouTubeでの発信など、幼少期から中学生時代にかけて積み重ねてきた経験が、高校での専門的な学びにつながっていた。
大学に進学せず、卒業後も地元で演奏活動を続けたことは、藤井風のキャリアにおける大きな選択だった。2019年の上京、2020年のメジャーデビュー、そして2025年の全編英語詞アルバム『Prema』へと、その活動は国内から世界へ広がっている。
【プロの結論】 藤井風の高校時代を理解するうえで大切なのは、岡山城東高校でのピアノ専攻だけを切り取らないことだ。クラシックの基礎、R&Bやソウルとの出会い、仲間とのアンサンブル、合唱伴奏、卒業後の地元での演奏活動。これらが連続した経験として、現在の音楽性を形作っている。
高校時代の写真や部活動の噂だけに注目するのではなく、本人の発言や母校関係者の証言、当時の地域資料を合わせて見ることで、藤井風がどのように音楽家として成長してきたのかが、より立体的に理解できる。
岡山でピアノを弾いていた一人の高校生が、世界のステージに立つアーティストになるまで。その出発点には、音楽を学び、仲間と演奏し、自分自身の表現を探し続けた高校時代があった。