長門裕之の弟は、俳優として数々の映画やテレビドラマで活躍した津川雅彦です。二人は同じ両親を持つ実の兄弟で、父は俳優の沢村国太郎、母は女優のマキノ智子。生年月日の差は約6年で、そろって日本映画界を代表する俳優となりました。
しかし、二人の関係は単純な仲良し兄弟ではありません。若い頃は同じ映画界で人気を競い合い、仕事をめぐる対立や確執もありました。その一方、晩年には関係が和らぎ、2006年公開の映画『寝ずの番』では、津川が映画監督・マキノ雅彦として兄の長門を出演者に迎えています。
【結論】長門裕之の弟は津川雅彦!約6歳差の実兄弟だった

長門裕之の弟は、間違いなく俳優の津川雅彦です。二人は京都市に生まれ、芸能一家の長男と次男として育ちました。
まず押さえておきたいのは、二人の本名と生年月日です。
- 兄・長門裕之:1934年1月10日生まれ。本名は加藤晃夫(かとう・あきお)。
- 弟・津川雅彦:1940年1月2日生まれ。本名は加藤雅彦(かとう・まさひこ)。
生まれた年は6年違いますが、誕生日を正確に比較すると、その差は5年11か月23日ほどです。そのため、一般的には「6歳差の兄弟」と紹介されています。
長門裕之は1930年代から子役として活動し、戦後の日本映画界で青春スターとして人気を獲得しました。一方、津川雅彦も幼少期から映画に出演し、1956年の『狂った果実』で本格的に注目を集めます。
兄弟そろって俳優として成功した背景には、幼少期から映画や演劇が身近にあった家庭環境がありました。講談社の『日本人名大辞典+Plus』や平凡社の百科事典マイペディアでも、長門裕之と津川雅彦の兄弟関係、両親の名前が確認できます。
【家系図】父は沢村国太郎、母はマキノ智子!長門裕之と津川雅彦を育てた芸能一家
長門裕之と津川雅彦の家系をたどると、日本映画の歴史を語るうえで欠かせない人物が次々と登場します。
父親は俳優の沢村国太郎、母親は女優のマキノ智子です。加えて、母方の祖父は日本映画の草創期を支えた牧野省三、母方の叔父には映画監督のマキノ雅弘がいました。
つまり、二人は単に両親が芸能人だったというだけではなく、映画製作や俳優業に深く関わる一族の中で育ったのです。
長門裕之・津川雅彦の家系図- 父:沢村国太郎(俳優)
- 母:マキノ智子(女優)
- 母方の祖父:牧野省三(映画製作者・日本映画の草創期を代表する人物)
- 母方の叔父:マキノ雅弘(映画監督)
- 父方の叔父:加東大介(俳優)
- 父方の叔母:沢村貞子(女優)
- 長男:長門裕之(本名・加藤晃夫)
- 次男:津川雅彦(本名・加藤雅彦)
この家系図からも、兄弟が日本映画界と深いつながりを持っていたことが分かります。特に牧野省三とマキノ雅弘の存在は、後に津川雅彦が映画監督として活動する際にも重要な意味を持ちました。
津川雅彦が「マキノ雅彦」を名乗った理由津川雅彦は俳優として活動する一方、映画監督としては「マキノ雅彦」という名前を使用しました。
これは母方の家系に由来するものです。母方の祖父が牧野省三、叔父がマキノ雅弘という映画界の名門に生まれた津川にとって、「マキノ」という名前は自身のルーツを象徴するものでした。
KINENOTEの人物略歴によると、津川はマキノ雅弘から許しを得て、その名前を受け継ぐ形で監督名を使用しています。
2006年の『寝ずの番』は、津川雅彦がマキノ雅彦名義で監督デビューした作品です。その後も『次郎長三国志』『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』などを手がけました。
俳優としての芸名と監督としての名前を使い分けた背景には、俳優としてのキャリアだけでなく、映画を作り続けてきた一族の歴史を受け継ぐ意識もありました。
【プロフィール比較】本名・生年月日・代表作・没年を一覧で整理
長門裕之と津川雅彦は同じ家族に生まれながら、俳優として歩んだ道には違いがありました。二人のプロフィールと主な経歴を比較すると、その個性がより明確になります。
| 比較項目 | 兄・長門裕之 | 弟・津川雅彦 |
|---|---|---|
| 本名 | 加藤晃夫 | 加藤雅彦 |
| 生年月日 | 1934年1月10日 | 1940年1月2日 |
| 出生地 | 京都府京都市 | 京都府京都市 |
| 兄弟関係 | 長男 | 次男 |
| 父親 | 沢村国太郎 | 沢村国太郎 |
| 母親 | マキノ智子 | マキノ智子 |
| 主な代表作 | 『太陽の季節』『にあんちゃん』『豚と軍艦』 | 『狂った果実』『マルサの女』『濹東綺譚』 |
| 監督名 | 俳優として活動 | マキノ雅彦 |
| 主な受賞歴 | 1959年度ブルーリボン賞主演男優賞 | ブルーリボン賞助演男優賞、日本アカデミー賞など |
| 没年月日 | 2011年5月21日 | 2018年8月4日 |
| 没年齢 | 77歳 | 78歳 |
出典は、講談社『日本人名大辞典+Plus』、KINENOTE、映画.comなどの人物略歴および報道資料です。
兄・長門裕之は青春スターから名脇役へ長門裕之は1940年の映画『続清水港』で映画界に登場し、1943年の『無法松の一生』などで子役として評価されました。
1956年の日活映画『太陽の季節』では主演を務め、当時の若者文化を象徴する俳優の一人として人気を集めます。
加えて、1959年の今村昌平監督作品『にあんちゃん』では高い評価を獲得し、同年度のブルーリボン賞主演男優賞を受賞しました。
その後は、主演だけでなく名脇役としても活躍。映画、テレビドラマ、舞台と活動の幅を広げ、日本映画界で長く存在感を発揮しました。
弟・津川雅彦は二枚目から悪役、映画監督へ津川雅彦は5歳の頃から映画に出演し、1956年の『狂った果実』で本格的に俳優として注目されました。
同作は石原慎太郎の原作を映画化した作品で、石原裕次郎の弟役を演じた津川は、若手俳優として一躍人気を獲得します。
その後、二枚目俳優として活動する一方、1980年代には役柄の幅を広げていきました。特に伊丹十三監督作品では重要な役を数多く演じ、『お葬式』『マルサの女』『ミンボーの女』などで独特の存在感を示しています。
また、『マノン』や『濹東綺譚』などでも高く評価され、映画賞を受賞しました。
俳優としてのキャリアに加え、2006年には映画監督としてもデビュー。俳優と監督という二つの顔を持つ、日本映画界でも個性的な存在となりました。
【兄弟の確執と和解】長門裕之と津川雅彦はなぜライバルだったのか
長門裕之と津川雅彦の関係を語る際に欠かせないのが、長年にわたるライバル関係です。
二人は兄弟であると同時に、同じ時代の映画界で活躍した俳優でした。しかも、兄がすでにスターとして実績を築いていた時期に、弟も若手スターとして人気を獲得します。
兄弟という近い関係だからこそ、比較される機会も多く、仕事上の競争が家庭内の感情にも影響したと考えられます。
津川雅彦自身が語った兄への複雑な思い2015年11月の日刊ゲンダイのインタビューで、津川雅彦は兄・長門裕之について率直に振り返っています。
津川は、兄を自分が追いつけない存在であり、長年競い合ってきたライバルとして語りました。長門は日活のスターとして高い評価を受けており、津川自身も俳優としての存在意義を考え続けていたといいます。
象徴的なのが、1963年製作の映画『古都』をめぐるエピソードです。
津川のインタビューによると、当初は岩下志麻の相手役が自分に決まっていたものの、最終的には兄の長門がその役を得たといいます。
この出来事は、単なる兄弟げんかではありません。俳優としての評価や出演機会が直接競争につながる、当時の映画界ならではの事情も背景にありました。
津川は後年のインタビューで、兄との関係について次のように振り返っています。
「仲良くなったのは兄貴の晩年です。」
これは日刊ゲンダイが2015年に掲載した津川本人のインタビューで語られた言葉です。長い競争の時期を経て、晩年になって兄弟の距離が縮まったことを示しています。
晩年の和解につながったものとは?兄弟の関係が和らいだことは、2018年の津川雅彦の訃報を伝えたデイリースポーツの記事でも紹介されています。
同紙は、二人の間には確執が絶えない時期もあったものの、晩年には和解し、良好な関係になっていたと報じました。
また、2006年の映画『寝ずの番』では、津川が監督を務め、兄の長門を出演者として迎えています。
ただし、和解に至った正確な時期や、特定の一つの出来事が関係改善の決定打になったかどうかは、報道資料からは断定できません。
重要なのは、二人の関係を単なる不仲として捉えないことです。長年の競争意識がありながら、最終的には互いの俳優としての実力を認め合う関係に変わっていったことが、本人の証言や晩年の報道から読み取れます。
【共演作品】『寝ずの番』で兄・長門裕之と弟・津川雅彦が再びつながった
長門裕之と津川雅彦の関係を象徴する作品として挙げられるのが、2006年公開の映画『寝ずの番』です。
この作品は、津川雅彦が「マキノ雅彦」名義で初めて監督を務めた映画です。原作は中島らもの同名小説で、上方落語の世界を舞台にした人間ドラマとして制作されました。
映画の中心となるのは、落語家の師匠の臨終をめぐる弟子たちの騒動です。人間の生と死、師弟関係、芸の世界に生きる人々の滑稽さや温かさを描いています。
主な出演者には中井貴一、木村佳乃、堺正章、笹野高史、岸部一徳、笑福亭鶴瓶、浅丘ルリ子などが名を連ね、長門裕之も出演しました。
津川にとっては、映画監督としての新しい出発点となった作品であり、長門にとっても弟が監督する映画への出演という意味を持つ作品でした。
『寝ずの番』が兄弟関係を考えるうえで重要な理由長年ライバル関係にあった二人が、兄弟として同じ映画制作に関わったことには大きな意味があります。
それまでの津川は、俳優として兄の実績や存在感を意識しながら自分のキャリアを築いてきました。しかし、監督という新しい立場に進んだことで、兄弟の関係にも別の接点が生まれます。
俳優として競い合うだけではなく、監督と出演者という立場で同じ作品に関わることになったのです。
作品の制作会社である光和インターナショナルの作品情報でも、2006年公開、監督マキノ雅彦、出演者に長門裕之という情報が確認できます。
映画そのものの評価だけでなく、二人の長い関係を知ったうえで鑑賞すると、出演が実現した背景にも興味が深まります。
【2011年・2018年】長門裕之と津川雅彦の没年と最期、2026年現在の状況
長門裕之と津川雅彦は、兄が先に亡くなり、その約7年後に弟も亡くなりました。
長門裕之は2011年5月21日、77歳で逝去。津川雅彦は2018年8月4日、78歳で逝去しています。
兄・長門裕之は2011年5月21日に逝去長門裕之は2011年5月21日、東京都内の病院で亡くなりました。77歳でした。
長門の妻は女優の南田洋子です。南田は2009年10月に亡くなっており、長門は晩年、認知症を患った妻を介護していたことでも知られています。
2011年5月24日に営まれた葬儀では、弟の津川雅彦が喪主を務めました。
日刊スポーツの報道によると、長門が亡くなった当日、津川自身も心筋梗塞を患い、集中治療室に入っていました。
葬儀で津川は、兄と自分が同じ日に生死の境をさまよっていたことを明かし、兄への感謝を述べています。
長年ライバルとして競い合ってきた弟が、兄の最期を見送る立場になったことは、二人の関係を振り返るうえでも印象的な出来事です。
弟・津川雅彦は2018年8月4日に逝去津川雅彦は2018年8月4日、心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。78歳でした。
津川は俳優として映画やドラマに出演し続ける一方、映画監督としても活動していました。
妻は女優の朝丘雪路で、二人の間には女優として活動する娘の真由子がいます。朝丘雪路は津川より先の2018年4月27日に亡くなっていました。
津川の訃報を伝えたデイリースポーツは、兄・長門との確執や晩年の和解についても報道しています。
また、津川は長門の死去当日に自身も心筋梗塞で入院していたことを、後年のテレビ出演などで振り返っていました。兄弟の最期が同じ日に重なったという事実は、二人の関係を象徴するエピソードとして伝えられています。
2026年現在、長門裕之と津川雅彦はどうなっている?2026年11月現在、長門裕之と津川雅彦は二人とも故人です。長門は2011年、津川は2018年に亡くなっているため、現在の芸能活動や新しい出演情報はありません。
一方、二人の出演映画やテレビドラマは、日本映画史を振り返るうえで重要な作品として残っています。
特に『太陽の季節』『にあんちゃん』『豚と軍艦』『狂った果実』『マルサの女』『寝ずの番』などは、兄弟それぞれの俳優としての個性や時代背景を知る手がかりになります。
また、BS朝日の番組『昭和偉人伝』でも、2018年7月に長門裕之と津川雅彦の歩みが取り上げられました。二人の芸能一家としての背景、日活時代の活躍、兄弟の確執と晩年の絆が紹介されています。
【よくある質問】長門裕之の弟と津川雅彦に関するFAQ
Q1:長門裕之の弟は誰ですか?
A1:俳優・映画監督の津川雅彦です。本名は加藤雅彦で、長門裕之とは同じ父母を持つ実の兄弟です。
Q2:長門裕之と津川雅彦は何歳差ですか?
A2:約6歳差です。長門は1934年1月10日生まれ、津川は1940年1月2日生まれです。正確な誕生日の差は5年11か月23日ほどです。
Q3:長門裕之と津川雅彦の本名は何ですか?
A3:長門裕之の本名は加藤晃夫、津川雅彦の本名は加藤雅彦です。芸名が異なるため別の家系に見えることがありますが、実際には同じ両親を持つ兄弟です。
Q4:長門裕之と津川雅彦の父親と母親は誰ですか?
A4:父親は俳優の沢村国太郎、母親は女優のマキノ智子です。母方の祖父は牧野省三、母方の叔父は映画監督のマキノ雅弘です。
Q5:長門裕之と津川雅彦は仲が悪かったのですか?
A5:若い頃は俳優としての競争意識が強く、確執があったと津川本人が語っています。しかし晩年には和解し、良好な関係になったと報じられています。
Q6:長門裕之と津川雅彦が共演した映画は何ですか?
A6:代表的な作品の一つが2006年公開の『寝ずの番』です。津川がマキノ雅彦名義で監督デビューを果たし、兄の長門裕之も出演しました。
Q7:長門裕之と津川雅彦は現在も存命ですか?
A7:二人とも亡くなっています。長門裕之は2011年5月21日に77歳で、津川雅彦は2018年8月4日に78歳で逝去しました。
長門裕之の弟は、俳優・映画監督として活躍した津川雅彦です。二人は父・沢村国太郎、母・マキノ智子の間に生まれた実の兄弟で、約6歳の年齢差がありました。
長門は『太陽の季節』『にあんちゃん』などで青春スターとして活躍し、その後は名脇役として日本映画界を支えました。津川は『狂った果実』で人気を集め、『マルサの女』などで演技力を発揮し、マキノ雅彦名義で映画監督としても実績を残しました。
二人の関係には長年の確執がありました。兄が先にスターとして成功し、弟もまた若くして人気を獲得したことで、同じ映画界に生きる兄弟ならではの競争が生まれたのです。
しかし、津川本人は晩年になって兄と仲良くなったと振り返っています。2006年の『寝ずの番』で兄弟が同じ作品に関わったことも、その関係を知るうえで重要な出来事です。
情報を整理する際には、単に「不仲だった兄弟」と紹介する記事だけでなく、津川本人のインタビュー、映画データベース、放送局の番組資料、訃報を伝えた報道をあわせて見ることが大切です。若い頃の競争と晩年の和解を分けて考えることで、二人の関係をより正確に理解できます。
2011年に兄が、2018年に弟が亡くなった現在も、二人が残した映画作品と俳優としての足跡は日本映画の歴史に刻まれています。長門裕之と津川雅彦は、同じ芸能一家に生まれ、互いを意識しながら異なる道を切り開いた、特別な兄弟だったのです。 (出典: 長門 裕之 の 弟(Yahoo!ニュース))