『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』は、ラジオ大阪(OBC)で放送された日曜深夜のトーク番組だ。出演者は落語家の笑福亭鶴瓶と、放送作家・タレントの新野新。2人が日常の出来事やリスナーの投稿について自由に語り合う、いわゆる「うだ話」が番組の中心だった。
当時の深夜放送には音楽番組や若者向けの情報番組が多かった。そのなかで、決められた台本や話題に縛られず、出演者同士の会話そのものを楽しませるスタイルは際立っていた。
笑福亭鶴瓶と新野新、異なる個性が生んだ化学反応
笑福亭鶴瓶
落語家として活動する一方、ラジオやテレビでも独自の話芸を発揮。若い時代の鶴瓶にとって、新野との自由な対話は、現在につながるトークスタイルを育てる重要な経験になった。
新野新
1935年2月23日、大阪生まれ。早稲田大学文学部卒業後、放送作家として活動。テレビ草創期から関西の放送文化に携わり、独特の言葉遣いや個性的な発想で番組を彩った。
番組の企画を担当したのは、ディレクターの岩本重義。通称「ガンさん」だ。
デイリースポーツの2019年のインタビューによると、岩本は当初、鶴瓶と母親役の女性が会話する番組を考えていた。しかし、鶴瓶自身が新野と男同士で話したいと希望し、新野を口説くことになったという。
結果として生まれたのは、世代も立場も異なる2人による独特のトーク空間だった。
鶴瓶の親しみやすさと、新野の理屈っぽさや独特の感性。互いに遠慮せず言い合える関係が、番組の魅力を形作った。
「ぬかるみ」というタイトルに込められた意味「ぬかるみ」という言葉には、泥にはまり込んで抜け出せなくなるイメージがある。
番組名については、いったん聴き始めると抜け出せなくなるほど夢中になる、という意味合いで説明されている。
実際、番組を聴く人々は「ぬかる民(ぬかるみん)」と呼ばれた。
単なるリスナーではなく、番組の話題を共有し、投稿を送り、イベントにも参加する人々。番組とリスナーが一緒に文化を作っていく仕組みが、ぬかるみの世界の特徴だった。
【1978〜1989年の放送史】11年半の歩みと主要人物の関係を整理

『ぬかるみの世界』は、1978年4月9日にスタートし、1989年10月1日に最終回を迎えた。
放送期間は約11年半。日曜深夜という時間帯に、長年にわたって熱心なリスナーを集め続けた。
番組の特徴は、放送局だけが一方的に情報を発信するのではなく、リスナーの投稿を通じて内容が変化していったことにある。
番組の主要人物・関係者一覧- 1978年4月9日: 『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』放送開始。
- 1979年前後: 千房が協賛し、番組を経済的に支援する体制が生まれる。
- 1980年: 新世界ツアーを開催。予想を大幅に超える参加者が集まる。
- 1989年10月1日: 約11年半の放送に幕を下ろす。
- 2025年9月25日: 新野新が90歳で死去。
- 2025年12月21日: 追悼特番『新野新さんを偲ぶ 鶴瓶ひとりのぬかるみの世界』を放送。
- 2026年: 追悼放送を経て、番組の歴史と出演者の関係が改めて注目される。
注目したいのは、番組終了後も関係者とリスナーの交流が続いていたことだ。
2019年の取材では、岩本が週に約500通の封書が届いていたと振り返っている。読むだけで3日かかったという証言からも、番組に寄せられた関心の大きさが分かる。
【ぬかる民と新世界ツアー】5000人が集まった伝説の新世界パニック
『ぬかるみの世界』を語るうえで欠かせないのが、リスナーの存在だ。
ぬかる民は、番組を聴くだけの人々ではなかった。出演者に手紙を送り、番組内で取り上げられた話題について考え、時には実際にイベントへ足を運んだ。
ラジオという音声メディアが、人と人とのつながりを作り出していたのである。
1980年、新世界ツアーで起きた予想外の事態事件のきっかけは、一人の女子高校生リスナーから届いた手紙だった。
デイリースポーツの関係者取材によると、新世界の串カツ店でアルバイトをしていた女子高校生が、番組に新世界へ来てほしいと投稿したことから、ツアー企画が持ち上がった。
当初の参加者予想は、岩本が約700人、鶴瓶と新野が約1,000人だった。
ところが、実際に集まったのは約5,000人。
予想をはるかに超える人出となり、警察が駆けつける事態に発展した。岩本は浪速警察署や機動隊本部に始末書を持って謝罪に行ったと振り返っている。
新野も後年のインタビューで、この出来事を番組が世間に知られる大きな転機として回想している。朝日新聞にも大きく取り上げられたという。
なぜ5000人もの人が集まったのかこの出来事の背景には、当時のラジオが持っていた独特の親密さがある。
テレビは視聴者に完成された映像を届ける。一方、深夜ラジオは、聴取者がパーソナリティの声を身近に感じられるメディアだった。
特に『ぬかるみの世界』では、投稿が実際の放送内容に反映される。
自分の手紙が読まれるかもしれない。自分が参加している番組の出演者に直接会えるかもしれない。
こうした期待が、リスナー同士の連帯感を強めていった。
加えて、当時はインターネットもSNSも存在しない。番組を通じて同じ話題を共有すること自体が、ぬかる民にとって特別な体験だった。
新世界パニックは、ラジオが単なる情報伝達手段ではなく、現実の人間関係や行動を生み出す力を持っていたことを示す出来事だった。
【おじん・おばん論争とおにぎり談義】何気ない話題が社会現象になる理由
『ぬかるみの世界』の魅力は、大規模イベントだけではない。
むしろ、日常生活の些細な疑問を、出演者とリスナーが真剣に語り合うところに番組らしさがあった。
2025年の追悼特番でも、当時の代表的な話題として「おじん・おばん論争」と「おにぎり談義」が振り返られた。
おじん・おばん論争とは?「おじん」「おばん」という言葉をめぐり、人の性格や印象について議論が展開されたものだ。
現在では何気ない言葉に感じられるかもしれないが、番組では、こうした身近な言葉も議論の対象になった。
面白いのは、必ずしも正解を出すことが目的ではなかった点だ。
鶴瓶と新野がそれぞれの考えを述べ、リスナーも自分の意見を投稿する。そこから別の視点が生まれ、話題が広がっていく。
おにぎり談義とは?こちらは、誰が握ったおにぎりなら食べられるかという話題だ。
家族が握ったものなら大丈夫なのか、他人が握ったものはどうなのか。日常的な食べ物を題材に、衛生感覚や人間関係に関わる感覚が議論になった。
こうしたテーマは、現代のSNSでも意見が分かれやすい。
ただし、当時の番組には、短い投稿への賛否だけで終わらず、出演者が時間をかけて話を膨らませる余裕があった。
2025年12月の追悼特番では、当時のリスナーから寄せられた便りを通じて、これらの話題が改めて紹介されている。
千房の「ぬかるみ焼」は今も存在する?
千房のぬかるみ焼
番組の歴史が実際の飲食店に残した、珍しいコラボレーションの一つ。現在も千房の公式説明に掲載されている。
番組と千房の関係は、スポンサーと放送局という一般的な関係にとどまらなかった。
千房の公式サイトによると、放送開始から約1年間、番組にはスポンサーがついていなかった。
そこで、鶴瓶と親交があり、番組の熱心なリスナーでもあった千房の中井政嗣社長が協賛することになった。
その後、鶴瓶が番組内で「ぬかるみ焼」というメニューについてアドリブで話したところ、リスナーが実際に店舗を訪れて注文した。
当初は存在しないメニューだったため、店には注文した人からの問い合わせが届いた。
この状況を受け、中井社長が実際にメニュー化を決断。ミックス焼を「ぬかるみ焼」と注文すると、通常より安く提供する仕組みを作った。
当時の価格は、通常750円のミックス焼が600円だった。番組で紹介された翌日には、40枚の注文が入ったという。
千房の公式サイトでは、現在も「ぬかるみ焼」を裏メニューとして紹介しており、日本全国の店舗で注文可能としている。
これは、番組が単なる思い出に終わらず、企業の歴史や商品文化にも影響を残した好例だ。
【新野新の死去と2025年追悼特番】鶴瓶が語った恩人との別れ
2025年、ぬかるみの世界にとって大きな節目が訪れた。
長年、番組を支えた新野新が亡くなったのである。
スポニチの2025年10月2日の報道によると、新野は2025年9月25日、大阪市内の病院で老衰のため90歳で死去した。
1958年に早稲田大学を卒業し、北野劇場の演出助手を経て放送作家として活動。テレビやラジオを中心に関西の放送文化を支えた人物だった。
また、ABCテレビの『晴れ時々たかじん』や読売テレビの『今夜なに色?』などにも出演していた。
2025年12月21日、一夜限りの復活新野の死去を受け、ラジオ大阪は追悼特別番組を企画した。
番組名は『新野新さんを偲ぶ 鶴瓶ひとりのぬかるみの世界』。
- 放送日:2025年12月21日(日)
- 放送開始:深夜24時
- 放送局:ラジオ大阪(OBC)
- 出演:笑福亭鶴瓶
- 放送時間:当初の案内は24時〜25時30分、実際のradiko番組記録は25時39分まで
この特番は、当時の番組と同じ日曜深夜24時にスタートし、終了時間を固定しないというスタイルも再現した。
スタジオには、ディレクターの岩本重義や、千房の中井政嗣会長も参加。全国のぬかる民から多数のメッセージが届き、番組はかつての仲間が集う同窓会のような雰囲気となった。
鶴瓶が語った新野新への感謝特番では、鶴瓶が新野との関係を振り返った。
番組の公式発表で紹介された鶴瓶の言葉には、2人の関係性を象徴するものがある。
新野新という人に、「おもろない」と言えるのが本当に嬉しかったですね。
鶴瓶にとって、新野は単に一緒にラジオに出演した相手ではなかった。
放送作家でありながら、自由に話すことを許してくれる存在だった。新野との対話が、鶴瓶独自の芸風を育てたという。
さらに鶴瓶は、次のようにも語った。
新野先生は恩人ですよね。
この言葉には、長年の共演を通じて築かれた信頼と感謝が表れている。
番組後半では、当時の「全国縦断ぬかるみ電話」に出演した北海道・帯広在住の女性リスナーとも電話をつないだ。
懐かしい番組の記憶を、現在のリスナーと共有する構成だった。
【2026年現在】ぬかるみの世界は復活した?再放送・音源の現状
2026年11月現在、『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』は、1978〜1989年に放送されたオリジナル番組としては終了している。
2025年12月の特別番組は、一夜限りの追悼放送だった。毎週放送されるレギュラー番組として復活したわけではない。
ここは、検索する際に混同しやすいポイントだ。
2025年の特番は現在も聴ける?放送直後にはradikoで聴取できた。
ただし、ラジオ大阪の番組案内では、タイムフリーによる聴取期間は放送後最長30日間と案内されていた。radikoの該当番組ページでも、現在は配信終了と表示されている。
そのため、2026年現在、当時の特番を通常のタイムフリーでそのまま聴ける状態ではない。
オリジナル番組の再放送や復活はある?復活を望む声は、番組終了後も存在していた。
2019年のデイリースポーツの取材では、岩本が復活について「タイミング」と語り、実現するなら以前と同じ形で1カ月ほど放送したいという希望を明かしていた。
そして2025年には、実際に追悼特番という形で復活が実現した。
2026年1月には、ニッポン放送の『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』でも、追悼特番の舞台裏が紹介された。当時のディレクターの呼びかけで実現したことや、鶴瓶がMBSラジオの『ヤングタウン』出演後、そのままラジオ大阪へ移動して生放送に臨んだことが語られている。
また、鶴瓶は『ぬかるみの世界』について語り合う会や、新野を偲ぶ集まりの可能性にも触れていた。
ただし、こうした発言は今後の企画への期待であり、2026年のレギュラー復活が決定したことを意味するものではない。
2026年に番組を知るための情報源| 情報源 | 分かること |
|---|---|
| ラジオ大阪の公式発表 | 番組の歴史、追悼特番の内容 |
| 千房の公式サイト | ぬかるみ焼の誕生秘話と現在の扱い |
| デイリースポーツの過去の取材 | 岩本や新野が語った番組制作の裏側 |
| ニッポン放送の鶴瓶番組 | 2025年追悼特番の舞台裏 |
| 関連書籍 | 当時の出演者や放送文化に関する記録 |
番組の歴史を知りたい人には、まずラジオ大阪の公式情報と関係者インタビューがおすすめだ。
実際の音声を探している場合は、公式の再放送・配信情報と、過去の特別番組の公開状況を区別して確認したい。
【ぬかるみの世界に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:ぬかるみの世界はいつからいつまで放送されていた?
A1:1978年4月9日から1989年10月1日まで、ラジオ大阪(OBC)で約11年半にわたって放送された。出演者は笑福亭鶴瓶と新野新。
Q2:ぬかる民とはどういう意味?
A2:『ぬかるみの世界』を熱心に聴いていたリスナーの呼び名。「ぬかるみにはまって抜け出せなくなる」という番組タイトルのイメージとも結び付いた愛称だ。
Q3:新世界ツアーには何人集まった?
A3:1980年に開催されたツアーには約5,000人が集まった。女子高校生リスナーの投稿がきっかけで、警察が対応するほどの大規模なイベントになった。
Q4:新野新はいつ亡くなった?
A4:2025年9月25日。大阪市内の病院で老衰のため90歳で亡くなった。
Q5:2025年の追悼特番は誰が出演した?
A5:笑福亭鶴瓶が出演した。番組名は『新野新さんを偲ぶ 鶴瓶ひとりのぬかるみの世界』。2025年12月21日深夜にラジオ大阪で生放送された。
Q6:ぬかるみ焼は2026年現在も食べられる?
A6:千房の公式サイトでは、現在も裏メニューとして紹介されている。公式説明では全国の店舗で注文可能とされている。
Q7:ぬかるみの世界は2026年に再放送されている?
A7:2025年12月には追悼特番が放送されたが、2026年11月現在、オリジナル番組の定期的なレギュラー復活が決定したという公式発表は確認できない。
『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』は、単に昔人気があった深夜ラジオではない。
笑福亭鶴瓶と新野新という個性の異なる2人が、自由な会話を通じてリスナーとつながり、番組の外側にまで文化を広げた存在だった。
その影響は、次の3つに整理できる。
1. ラジオ番組としての革新性: 台本に縛られないトークと投稿を中心とする番組作り。
2. リスナー文化の形成: ぬかる民、新世界ツアー、数々の論争など、番組から生まれた独自のコミュニティー。
3. 長期的な影響力: 千房のぬかるみ焼や2025年の追悼特番に見られる、放送終了後も続く番組の存在感。
2026年の音声メディアは、ポッドキャストや動画配信、SNSなど多様な形に広がっている。しかし、どれほど配信技術が進化しても、リスナーが出演者と同じ時間を共有し、投稿を通じて番組の一部になるという体験には独特の価値がある。
『ぬかるみの世界』が残したものは、懐かしい昭和の深夜放送という記憶だけではない。
リスナーの何気ない手紙から5,000人規模のイベントが生まれ、スポンサー企業にまで影響を与え、出演者の死去をきっかけに全国のリスナーが再び集まった。
その一連の出来事こそ、この番組の本質を物語っている。
新野新はもういない。しかし、鶴瓶が語った恩人への感謝、岩本が守り続けた番組の記憶、そしてぬかる民が持ち続ける思い出は残っている。
「ぬかるみの世界」は1989年に放送を終えた。それでも、ぬかる民の心の中では、今も終わっていない番組なのだ。