織田信長の肖像画といえば、教科書や歴史資料で紹介される、鋭い眼差しと特徴的な髭を持つ姿を思い浮かべる人が多い。しかし、現在まで伝わる織田信長の肖像画は一枚だけではない。代表的な作品には、愛知県豊田市の長興寺に伝わる「長興寺本」、京都の大徳寺が所蔵する「大徳寺本」、神戸市立博物館所蔵の「織田信長像」などがある。
なかでも注目されるのが、狩野元秀が描いたとされる長興寺本(1583年)と、狩野永徳筆とされる大徳寺本(1584年)の違いだ。両作品は制作年代だけでなく、信長の装束、表情、持ち物、描かれた背景にも特徴がある。さらに2026年は、大徳寺開創700年記念の特別展で複数の信長像が紹介され、肖像画をめぐる歴史的背景に改めて関心が集まっている。
【まず結論】織田信長の肖像画は一枚ではない!代表的な現存作品を整理

織田信長は天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変で生涯を終えた。現在知られる代表的な肖像画には、没後間もない時期に制作された作品が複数存在する。
肖像画が複数残された背景には、信長を弔うための追善供養、寺院における礼拝、そして天下人としての存在を後世に伝える政治的・宗教的な意味があった。
特に重要なのは、同じ信長を描いた作品でも、制作を依頼した人物や所蔵寺院によって表現が異なることだ。単純に顔立ちだけを比べるのではなく、画面上部の賛、装束、家紋、寄進の記録まで確認すると、それぞれの作品が持つ役割が見えてくる。
代表的な織田信長の肖像画- 長興寺本:1583年。狩野元秀筆。愛知県豊田市の長興寺所蔵。重要文化財。
- 神戸市立博物館本:1583年。作者不詳。古溪宗陳の賛があり、重要文化財に指定されている。
- 大徳寺本:1584年。狩野永徳筆とされる。大徳寺所蔵。
- 総見院伝来の肖像画:狩野永徳筆とされる16世紀の作品。2026年の大徳寺展で紹介される。
- 織田信長像の模本:原本は天正16年(1588年)の七回忌に制作されたとされ、現存する模本は明治時代の作品。
ここで注意したいのは、総見院に伝わる肖像画と、総見院本堂に安置されている木造の信長坐像は別の文化財だという点だ。肖像画と彫刻が混同されると、制作年代や作者の説明にも誤りが生じやすい。
また、長興寺本と大徳寺本は、いずれも信長の没後に制作された作品であり、現代の写真のように本人の顔を正確に記録したものではない。追善や権威の表現という制作目的も踏まえて見る必要がある。
【長興寺本を徹底解剖】狩野元秀が1583年に描いた肖像画の制作経緯
織田信長の肖像画のなかでも、制作の経緯が比較的明確に分かるのが長興寺本だ。
この作品は愛知県豊田市の長興寺が所有する重要文化財で、東京文化財研究所の年紀資料集成にも、天正11年(1583年)制作、狩野元秀筆として登録されている。作品の寸法は縦70.0センチ、横31.2センチ。縦長の掛幅形式である。
作者・狩野元秀(宗秀)とはどのような絵師か長興寺本の作者として記録される狩野元秀は、狩野派の絵師である。元秀印は狩野宗秀(1551~1601年)に結び付けられ、宗秀は狩野永徳の弟として知られる。
狩野永徳は安土桃山時代を代表する絵師で、安土城などの障壁画制作にも関わった人物だ。その一門は当時の有力者や寺院から多くの注文を受けていた。
長興寺本は、こうした狩野派の絵師が信長没後の追善事業に関わったことを示す重要な作例でもある。
制作を依頼したのは家臣・与語久三郎正勝長興寺本の大きな特徴は、画面下部に制作の経緯を伝える寄進銘が残されていることだ。
信長の家臣だった与語久三郎正勝(よご・きゅうざぶろう・まさかつ)が、信長の一周忌にあたって肖像画を制作させ、長興寺に寄進したことが記されている。
愛知県の文化財ナビによると、与語久三郎正勝は兵火で焼けた長興寺の再建にも手を貸した人物だった。この肖像画は、単なる美術作品ではなく、主君への報恩と追慕を込めた供養礼拝用の画像だったのである。
寄進銘には、次のような内容が記されている。
「右信長御影」「為御報恩」「当於一周忌之辰描之」
現代語に置き換えると、「これは信長の御影であり、恩に報いるため、一周忌にあたって描いた」という趣旨になる。加えて、三州高橋の長興寺に与語久三郎正勝が寄進したことと、天正11年6月2日という日付も確認できる。
信長の命日からちょうど一年後にあたる日付が記されていることは、この作品の成立背景を考えるうえで極めて重要だ。作者や制作年代を推定するだけでなく、実際の寄進者まで明らかになる点が、長興寺本の大きな価値となっている。
長興寺本の顔立ち・装束・持ち物の特徴長興寺本の信長は、上畳に座り、緑色の肩衣をまとった姿で描かれている。頭には被り物を付けず、肩には桐紋が配されている。
右手には扇を持ち、左手は軽く握る。脇には小太刀を差している。身体は正面を向き、顔はやや右側に向けられている。
顔立ちには、顎の尖った卵形の輪郭、細い眉、二重瞼の目、大きな鼻、横に伸びる髭といった特徴がある。狩野派の肖像画らしい、縦に細長い安定した構図も見どころだ。
愛知県の文化財解説では、肩衣の肩の線や構図にも天正・慶長期の絵画表現の特徴が見られると説明されている。
なお、長興寺本は長興寺が所有しているものの、豊田市美術館に寄託されている。常時展示されている作品ではなく、鑑賞の際には展覧会情報を確認する必要がある。
出典:東京文化財研究所の年紀資料集成、文化財ナビ愛知。長興寺本の制作年、寄進銘、作者、像容についての記録に基づく。
【長興寺本と大徳寺本を比較】狩野元秀と狩野永徳の作品は何が違う?
長興寺本と大徳寺本は、どちらも信長没後の比較的早い時期に制作された肖像画だが、表現には明確な違いがある。
長興寺本が家臣による追善供養のための作品であるのに対し、大徳寺本は豊臣秀吉が主導した信長の追善事業や三回忌との関係が注目される。作者の作風だけでなく、制作を取り巻く政治的な背景も比較のポイントになる。
主要な肖像画の比較一覧| 比較項目 | 長興寺本 | 大徳寺本 | 神戸市立博物館本 |
|---|---|---|---|
| 制作年代 | 1583年 | 1584年 | 1583年 |
| 作者 | 狩野元秀(宗秀) | 狩野永徳とされる | 作者不詳 |
| 所蔵 | 長興寺 | 大徳寺 | 神戸市立博物館 |
| 制作の背景 | 家臣・与語久三郎正勝による一周忌の寄進 | 秀吉主催の三回忌に関係する肖像 | 信長一周忌の追善肖像 |
| 装束 | 緑色の肩衣 | 肩衣・袴・小袖 | 束帯 |
| 主な持ち物 | 扇、小太刀 | 扇子、脇差し | 笏、腰刀 |
| 顔立ちの特徴 | 卵形の輪郭、尖った顎 | 面長、大きな鼻、鋭い目 | 面長、大きな眼、立派な髭 |
| 作品の性格 | 家臣による追慕・供養 | 寺院の追善と政治的記憶 | 束帯姿による権威の表現 |
※大徳寺本の作者表記は、東京文化財研究所や京都国立博物館の研究、2026年の公式展覧会情報に基づく。神戸市立博物館本は、作品の賛を書いた人物と絵師を区別している。
大徳寺本の特徴は肩衣・袴姿と鋭い表情大徳寺本は、かつて大徳寺塔頭の総見院に伝来し、現在は大徳寺本坊が所蔵する作品として知られる。
京都国立博物館の研究論文「大徳寺所蔵の狩野永徳筆織田信長像について」では、作品の寸法は縦115センチ、横51センチとされる。長興寺本と比べて、かなり大きな肖像画である。
信長は肩衣と袴を着用し、上畳に座る。右手には扇子を持ち、脇には脇差しを差している。
顔立ちは長興寺本よりも面長に見え、鼻が大きく、切れ長の目には強い意志を感じさせる表現がある。眉間や目の周囲の皺も細かく描き込まれており、人物の緊張感を強く印象付ける。
肩衣には桐紋と織田家の家紋である瓜紋が配置され、小袖にも桐紋が施されている。肩衣と袴は薄茶色、小袖は薄藍色を基調とする。
京都国立博物館の山本英男氏による研究では、2008年9月から2009年10月にかけて行われた解体修理で、作品の裏側に表側とは異なる彩色や表現が残されていることが確認された。
小袖の色や紋様、刀、扇子などに相違があり、制作過程や画面の変遷を考えるうえで重要な発見となった。
作者は本当に狩野永徳なのか大徳寺本については、画面に絵師の署名や落款がない。したがって、作者を直接示すサインが画面上に残っているわけではない。
一方、京都国立博物館の研究論文では、永徳真筆の可能性が高い作品として紹介され、東京文化財研究所の年紀資料集成でも狩野永徳筆と記録されている。
2026年の大徳寺展公式資料でも、1584年の作品は狩野永徳筆として紹介されている。美術史研究と文化財の作品記録の双方で永徳との関係が認められている点は重要だ。
ただし、作者の署名がある作品と同じ意味での確定的な自筆証明とは異なる。作者の評価は、画風や制作年代、伝来、修理時の調査などを総合して判断される。
【神戸市立博物館本と現存作品】長興寺本以外にも残る信長の肖像
織田信長の肖像画を調べるうえで、見逃せないのが神戸市立博物館所蔵の「織田信長像」だ。
この作品は、長興寺本と同じ天正11年(1583年)の作例であり、作者は不詳。ただし、上部に大徳寺総見院初代住持の古溪宗陳(1532~1597年)による賛が記されている。
神戸市立博物館本は束帯姿の信長を描く神戸市立博物館本の最大の特徴は、現存する代表的な初期肖像画のなかでも、信長が束帯姿で描かれていることだ。
束帯は、天皇や公家などが着用した格式の高い正装である。信長は上畳に座り、右手に笏を持ち、左脇には腰刀を佩いている。
面長の顔、大きな目、立派な髭などが特徴で、長興寺本の緑色の肩衣姿とは印象が大きく異なる。
文化庁の文化遺産オンラインでは、作品の制作年代を天正11年(1583年)とし、束帯姿は信長の神格化を示す表現だと解説している。
また、平成26~27年度の解体修理によって画面の汚れが除去され、束帯に描かれていた織田家の家紋・木瓜紋が明瞭になった。
つまり、肖像画の細部は修理や調査によって新たに読み取れる場合がある。現代の文化財研究は、単に古い絵を保存するだけでなく、制作当時の表現を再検討する作業でもある。
賛を書いた古溪宗陳と作品の伝来神戸市立博物館本には、古溪宗陳による漢詩の賛が記されている。
この賛には天正11年の年記があり、信長の一周忌に際して制作されたことを裏付ける重要な手掛かりになっている。
ただし、古溪宗陳は賛を書いた人物であり、絵を描いた作者とは区別しなければならない。作品の作者を古溪宗陳と紹介するのは正確ではない。
作品の伝来は安土城内に信長が建立した摠見寺から始まり、織田宗敦、池長孟らを経て、現在の神戸市立博物館へとつながる。1982年に神戸市立博物館の所蔵となった。
この伝来は、信長の死後も肖像画が寺院や旧家、収集家の間で受け継がれてきたことを示している。
1588年制作の肖像画の模本も現存する加えて、東京国立博物館関連の文化財情報には、織田信長像の模本も登録されている。
その原本は天正16年(1588年)、信長の七回忌に制作されたとされる。現存する作品は明治時代・19世紀の模本で、原本には公家の近衛前久による追善の和歌6首が添えられていた。
この模本の顔立ちは、鼻骨の高い表現などが大徳寺本と共通すると説明されている。
信長の肖像画は、現存する原本だけでなく、後世の模写や伝来作品も含めて検討することで、どのような姿が後世に受け継がれたのかが分かる。
【文字・賛・装束の意味】織田信長の肖像画を見分ける3つのポイント
複数の肖像画を見分ける際、最も役立つのは顔の形だけではない。文字、衣装、持ち物という3つの要素を確認すると、作品の違いが分かりやすくなる。
1.画面に書かれた文字から制作目的を読み取る長興寺本には、上部と下部にそれぞれ重要な墨書がある。
上部には信長の法名や没年月日が記され、下部には一周忌に肖像を描いたこと、与語久三郎正勝が長興寺に寄進したことが記録されている。
この文字情報は、単なる説明書きではない。作品が誰のために、いつ、どのような目的で作られたのかを伝える一次資料として機能している。
神戸市立博物館本では、古溪宗陳の賛と天正11年の年記が制作時期を考える手掛かりになる。
一方、大徳寺本では画面に絵師の款印がなく、軸木に記された天正12年5月の墨書などが制作年代を考える資料となっている。
2.装束から信長の政治的・宗教的な位置付けを考える長興寺本の肩衣姿は、家臣が主君を追慕する肖像としての性格を感じさせる。
肩に施された桐紋は、当時の政治的な格式を示す意匠として注目される。また、扇や小太刀は武将としての信長の姿を表現する要素でもある。
大徳寺本では、桐紋に加えて織田家の瓜紋が描かれている。これは朝廷や将軍家との関係、そして織田家自身の権威を視覚的に表現する要素と考えられる。
神戸市立博物館本の束帯姿は、さらに格式が高い。文化遺産オンラインが説明するように、束帯姿には信長を神格化する意味が込められている。
したがって、衣装の違いは単なるファッションの違いではない。信長をどのような存在として後世に伝えようとしたのか、その制作意図を考える材料になる。
3.表情と持ち物だけで本人の容貌を断定しない長興寺本は卵形の顔と尖った顎、大徳寺本は面長の顔と鋭い目、神戸市立博物館本は大きな眼と立派な髭が特徴だ。
しかし、これらの違いだけで、どの肖像画が最も実際の信長に似ているかを断定することは難しい。
作品はそれぞれ異なる時期、目的、注文者のもとで制作されている。追善肖像では、故人の面影を伝えることに加えて、故人の地位や功績を表現することも重要だった。
顔の造形には絵師の画風も反映されるため、現代の写真を比較するような感覚で真偽を判断するのは適切ではない。
実際に比較するなら、次の順番がおすすめだ。
- 最初に制作年代と所蔵先を確認する。
- 次に画面上部の賛や下部の寄進銘を読む。
- 肩衣・束帯・袴などの装束を見比べる。
- 最後に顔立ち、家紋、扇、刀などの細部を確認する。
この順番で見ると、単に似ているかどうかという感想から一歩進み、肖像画が生まれた歴史的な背景まで理解できる。
【2026年最新】大徳寺の織田信長像は特別公開で見られる?展示日程を解説
2026年は大徳寺の開創700年にあたる節目の年だ。これに合わせて東京国立博物館では、開創700年記念の特別展「大徳寺 本朝無双之禅苑」が開催されている。
会期は2026年10月14日から12月6日まで。大徳寺や塔頭寺院に伝わる寺宝を紹介する大規模な展覧会で、織田信長の肖像画も展示対象となっている。
2026年の注目は狩野永徳筆とされる2つの信長像今回の展覧会で特に注目したいのは、信長の葬儀に関係する肖像画と、1584年の三回忌に関係する肖像画の2作品が紹介されることだ。
1点目は、狩野永徳筆、16世紀、総見院蔵とされる作品。信長の葬儀に掲げられた可能性がある肖像画で、前期展示にあたる。
2点目は、狩野永徳筆、天正12年(1584年)、大徳寺蔵の作品。秀吉が主催した三回忌のために制作されたとされ、後期展示となる。
さらに興味深いのが、後者には着衣を描き直した痕跡があることだ。展覧会公式解説では、秀吉の命によって信長の姿をあえて控えめなものに変更させた可能性が紹介されている。
これは確定した命令の記録ではなく、作品に残る描き直しの痕跡から考えられた歴史的解釈である。しかし、肖像画が単に故人の姿を残すだけでなく、後継者の政治的な意図とも結び付いていた可能性を示す興味深い視点だ。
2026年の展示スケジュール- 前期:2026年10月14日~11月8日。総見院蔵の狩野永徳筆とされる肖像画を展示。
- 後期:2026年11月10日~12月6日。天正12年(1584年)の大徳寺本を展示。
- 会場:東京国立博物館 平成館。
2026年11月4日現在、前期展示の期間中であり、1584年の大徳寺本は11月10日からの後期展示で公開される予定だ。
展示替えによって作品が入れ替わるため、両作品を同じ期間に鑑賞できるわけではない。両方を見たい場合は、それぞれの展示期間を確認する必要がある。
総見院の特別公開で見られるのは肖像画ではなく木造坐像2026年には、京都の大徳寺塔頭・総見院でも秋の特別公開が行われている。
公開期間は10月10日から11月30日まで。本堂には、豊臣秀吉が奉納した重要文化財「木造織田信長公坐像」が安置されている。
この坐像は高さ約115センチの等身大で、仏師・康清によって天正11年(1583年)に制作されたもの。束帯姿の信長を表した彫刻であり、狩野永徳筆とされる肖像画とは別の作品だ。
京都市観光協会の案内では、拝観時間は10時から16時まで、料金は大人800円、中高生400円、小学生以下無料となっている。2026年11月4日・5日と21日・22日は拝観休止日なので注意したい。
つまり、2026年に信長の姿を実際に鑑賞する機会は、東京国立博物館の肖像画展示と京都・総見院の木造坐像公開という、性格の異なる2つの機会に分かれている。
出典:東京国立博物館「開創700年記念 特別展 大徳寺」、京都市観光Navi「大徳寺塔頭 総見院 秋の特別公開」、文化遺産オンライン。
【プロの結論】織田信長の肖像画から読み解ける本当の歴史的価値
織田信長の肖像画を比較して分かるのは、信長という人物が一つの固定されたイメージだけで後世に伝えられたわけではないということだ。
長興寺本は家臣による追慕の気持ちを伝え、大徳寺本は秀吉の時代における信長の記憶と政治的な位置付けを考える手掛かりになる。神戸市立博物館本は、束帯姿によって信長の格式や神格化を表現している。
つまり、肖像画は顔の記録であると同時に、制作された時代の価値観を映し出す歴史資料でもある。
肖像画を見るときに間違えやすい3つのポイント- 長興寺本と大徳寺本を同じ作品だと思わない:制作年代も作者も表現も異なる。
- 賛を書いた人物を絵師と混同しない:神戸市立博物館本の古溪宗陳は賛者であり、絵師は不詳。
- 総見院の坐像と肖像画を混同しない:坐像は康清作の彫刻であり、狩野永徳筆とされる絵画とは別の文化財。
特に重要なのは、制作年代と寄進銘が明確な長興寺本を基準に、他の作品の成立背景を比較することだ。文字による記録と美術史上の分析を組み合わせれば、作品の違いをより正確に理解できる。
織田信長の肖像画に関するよくある質問(FAQ)
Q1:織田信長の肖像画で最も有名なのはどれ?
A1:代表的な作品の一つが長興寺本だ。狩野元秀筆とされ、1583年に家臣の与語久三郎正勝が一周忌に合わせて長興寺へ寄進した。歴史資料などで紹介される信長像を調べる際の重要な作品である。
Q2:長興寺本の作者は狩野永徳ではないの?
A2:長興寺本の作者は狩野元秀と記録されている。元秀は狩野宗秀に結び付く名で、宗秀は狩野永徳の弟にあたる。大徳寺本の作者として紹介される狩野永徳とは区別する必要がある。
Q3:大徳寺本は狩野永徳が描いた作品なの?
A3:大徳寺本は狩野永徳筆として文化財資料や2026年の公式展覧会で紹介されている。ただし、画面に絵師の署名や落款はない。京都国立博物館の研究では、修理による新知見も含めて永徳真筆の可能性が高い作品として論じられている。
Q4:神戸市立博物館の信長像は誰が描いたの?
A4:作者は不詳である。上部には古溪宗陳による賛があり、1583年に信長の一周忌のため制作されたことが分かる。束帯姿で笏を持つ姿が特徴で、重要文化財に指定されている。
Q5:総見院で見られる織田信長像は肖像画なの?
A5:2026年の総見院秋季特別公開で本堂に安置されているのは、康清作の木造織田信長公坐像である。これは絵画ではなく彫刻だ。狩野永徳筆とされる総見院伝来の肖像画とは別の文化財である。
Q6:2026年に大徳寺本の肖像画を見るにはいつ行けばいい?
A6:東京国立博物館の大徳寺展では、1584年の大徳寺本は2026年11月10日から12月6日までの後期展示で紹介される。総見院蔵の別の信長像は前期の11月8日までとなっているため、展示期間を間違えないようにしたい。
織田信長の肖像画は一枚ではなく、長興寺本、大徳寺本、神戸市立博物館本、総見院伝来の肖像画など、複数の作品が現存している。
なかでも長興寺本は、狩野元秀筆とされる1583年の作品で、家臣・与語久三郎正勝が信長の一周忌に長興寺へ寄進したという経緯が銘文から読み取れる。
一方、大徳寺本は狩野永徳筆とされる1584年の作品で、秀吉主催の三回忌との関係や、着衣の描き直しをめぐる研究が注目されている。
2026年の大徳寺開創700年記念展では、総見院伝来の肖像画と大徳寺本が前期・後期に分けて公開される。これまで別々に語られることが多かった作品を、制作の背景や伝来とともに捉え直す貴重な機会だ。
信長の肖像画を見分ける際には、顔立ちだけで判断せず、作者、制作年代、装束、賛、寄進銘を総合的に確認することが大切である。そこには、戦国時代の英雄としてだけではない、追悼され、権威付けられ、後世へ記憶されていった織田信長の姿が残されている。