竹田恒泰さんの父親は、竹田恒和(たけだ・つねかず)さんです。旧字体では「竹田恆和」と表記されることもあります。
恒和さんは1947年生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業し、馬術選手として国際大会に出場した後、日本のオリンピック運動を支える組織運営に携わりました。
2001年10月にJOC会長に就任し、2019年6月まで約18年間にわたって同職を務めています。
特に注目されるのは、次の3点です。
- 馬術の選手としてミュンヘン五輪とモントリオール五輪に出場したこと。
- 祖父にあたる竹田宮恒徳王が、明治天皇の第六皇女・昌子内親王の子であること。
- 東京五輪招致をめぐるフランス司法当局の捜査対象となり、2019年にJOC会長を退任したこと。
父親の経歴と息子の竹田恒泰さんの活動は、それぞれ別の分野に属しています。家系の歴史とスポーツ界での実績を分けて見ると、人物像が理解しやすくなります。
【五輪選手からJOC会長へ】竹田恒和の経歴と馬術の実績

竹田恒和さんは、慶應義塾大学法学部政治学科を1970年に卒業しました。
学生時代から馬術に取り組み、大学の馬術部で競技経験を積んでいます。
慶應義塾体育会馬術部の公式歴史資料には、恒和さんが1972年のミュンヘン五輪と1976年のモントリオール五輪に出場した記録が残されています。
出場種目は馬術の大障害(障害飛越競技)です。
障害飛越競技は、馬と選手が一体となり、コース上に設置された障害物を決められた順序で飛び越える競技です。障害物への接触や落下、制限時間などが成績に影響します。
恒和さんは国内でも実績を残し、全日本馬術大障害選手権で3回優勝した経歴があります。
競技者からスポーツ組織の運営者へ選手としての活動を終えた後も、馬術やオリンピックに関わり続けました。
バルセロナ五輪では馬術チームの監督を務め、1998年の長野冬季五輪では競技統括責任者として大会運営に携わっています。
その後、JOCの委員、理事、常務理事を経て、2001年に会長へ就任しました。
2012年にはIOC委員にも選出されています。日本人として13人目のIOC委員となったことが、JOCの公式発表に記録されています。
竹田恒和の主な経歴・年表| 年・時期 | 出来事 | 詳細 |
|---|---|---|
| 1947年 | 誕生 | 東京都生まれ |
| 1970年 | 大学卒業 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
| 1972年 | ミュンヘン五輪 | 馬術・大障害に出場 |
| 1976年 | モントリオール五輪 | 馬術・大障害に出場 |
| 1987年 | JOC委員 | 日本オリンピック委員会の委員に就任 |
| 1991年 | JOC理事 | 組織運営に参加 |
| 1998年 | 長野冬季五輪 | 競技統括責任者を担当 |
| 2001年10月 | JOC会長 | 会長に就任 |
| 2012年 | IOC委員 | 国際オリンピック委員会の委員に選出 |
| 2019年6月 | JOC会長退任 | 約18年間の会長職を終える |
| 2025年6月 | 名誉会長案 | JOC理事会で推薦案が保留と報道 |
この経歴から分かるのは、恒和さんが単に旧皇族の家系に属する人物ではなく、選手、指導者、競技団体の運営者という複数の立場を経験してきたことです。
【竹田宮恒徳王の家系図】竹田恒泰と皇族のつながり
竹田恒泰さんの家系を理解するには、祖父にあたる竹田宮恒徳王までさかのぼる必要があります。
竹田宮家は、明治天皇の皇女を祖先に持つ宮家です。
祖父・竹田宮恒徳王とは何者か竹田宮恒徳王は1909年に生まれた人物で、竹田宮家の皇族として活動していました。
父親は竹田宮恒久王、母親は明治天皇の第六皇女である昌子内親王です。
つまり、恒徳王は明治天皇の孫にあたります。
恒徳王は戦前に陸軍に所属し、陸軍大学校を卒業。終戦時には陸軍中佐でした。
戦後はスポーツ振興に力を注ぎ、日本スケート連盟会長、日本馬術連盟会長などを歴任しています。
1964年東京五輪の時代にも日本のオリンピック運動に関わり、JOC委員長を務めた経歴があります。
恒和さんが馬術とオリンピックに深く関わった背景には、祖父の代から続くスポーツ界とのつながりもありました。
竹田恒泰に至る家系のつながり家系を簡潔に整理すると、次のようになります。
- 明治天皇
- 昌子内親王(明治天皇の第六皇女)
- 竹田宮恒徳王(昌子内親王の長男)
- 竹田恒和(恒徳王の三男)
- 竹田恒泰(恒和さんの長男)
この系譜で重要なのは、明治天皇とのつながりが昌子内親王を通じたものだという点です。
竹田恒泰さんは、明治天皇の玄孫にあたります。
1947年の皇籍離脱とは?竹田家を語るうえで欠かせないのが、1947年の皇籍離脱です。
戦後の皇室制度改革によって、11宮家51人が皇族の身分を離れることになりました。
1947年10月13日に皇室会議で決定され、翌14日に皇籍離脱が実施されています。
竹田宮家も対象となり、竹田宮恒徳王とその家族は皇族の身分を離れました。
この決定の背景には、戦後の占領政策、皇室財産をめぐる制度変更、皇族の範囲を縮小する方針などがありました。
衆議院の国会審議記録でも、皇籍を離れたのは竹田宮を含む11宮家51人と説明されています。
ここで見逃せないのが、竹田恒和さんの誕生日です。
恒和さんは1947年11月生まれとされ、10月14日の皇籍離脱より後に誕生しています。
したがって、恒和さん自身が皇族として生活したわけではありません。旧皇族の家系に生まれた民間人という位置づけになります。
この点は、竹田恒泰さんと皇族との関係を理解するうえでも重要です。
【竹田恒泰の母親】松見昌子とはどのような人物?
竹田恒泰さんの父親が竹田恒和さんである一方、母親について検索する人も少なくありません。
系譜資料では、恒和さんの妻として松見昌子さんの名前が記されています。
竹田恒泰さんの母親にあたる人物です。
母親のプロフィールと家族関係松見昌子さんは、恒和さんの配偶者として家系資料に登場します。
一方、父親の恒和さんのように、五輪競技やJOC運営などの公的な経歴が広く報じられている人物ではありません。
そのため、職業や詳しい活動歴、個人的なエピソードなどについては、公開情報が限られています。
家族構成を整理する際には、次の2人を混同しないことも大切です。
- 三条光子さん: 竹田宮恒徳王の妻で、竹田恒和さんの母親。
- 松見昌子さん: 竹田恒和さんの妻で、竹田恒泰さんの母親。
同じ竹田家に関係する女性でも、世代も親族関係も異なります。
竹田恒泰と父親の関係竹田恒泰さんは、作家・評論家として皇室や日本史に関する発信を行っています。
父親の恒和さんはスポーツ界で活動してきた人物であり、親子の活動領域は大きく異なります。
ただし、竹田恒泰さんの家系を考えると、父親から受け継いだ旧皇族につながる歴史的背景が、本人の皇室に関する発言や著作を理解するための一つの手がかりになります。
もっとも、父親の経歴と息子の思想・言論活動は同一視できません。親子であることと、それぞれの社会的活動の評価は分けて考える必要があります。
【東京五輪招致疑惑】竹田恒和に何があったのか
竹田恒和さんの経歴を振り返る際、避けて通れないのが東京2020五輪招致をめぐる問題です。
この問題は、恒和さんのJOC会長退任にもつながりました。
発端は海外コンサルタント会社への送金2013年、東京五輪の招致活動を進めていた招致委員会は、シンガポールのコンサルタント会社と契約を結びました。
この会社はブラック・タイディングス社として報道されています。
招致委員会から同社に対して、合計280万シンガポールドル、当時の日本円で約2億2,000万円が送金されたことが問題になりました。
竹田恒和さんは当時、招致委員会の理事長を務めていました。
本人は、この支払いについて招致活動に関するコンサルタント契約に基づく正当な対価であり、不正な贈賄ではないとの説明を続けていました。
一方、フランス司法当局は、この資金の一部が国際陸上競技連盟の前会長ラミン・ディアク氏の関係者に渡った可能性などを調べていました。
東京五輪招致疑惑の経緯2016年5月:送金問題が表面化
海外コンサルタント会社への送金が報道され、竹田氏は送金の事実を認めました。ただし、コンサルタント業務への対価であり、不正はないと説明しました。
2016年9月:JOCの調査チームが報告
JOCの調査チームは、コンサルタント料の支払いについて、日本の法律、フランス刑法、IOC倫理規程への違反を見いだせなかったとの結論を示しました。
2017年2月:東京地検が任意聴取
フランス当局からの捜査共助の要請を受け、東京地検特捜部が竹田氏ら招致関係者から任意で事情を聴きました。
2018年12月:フランスで事情聴取
竹田氏はフランスの司法当局による事情聴取を受けました。
2019年1月:フランス当局の正式捜査が報道される
竹田氏が贈賄に関与した疑いをめぐり、フランスの予審判事による捜査が進んでいることが報じられました。竹田氏は疑惑を否定し、起訴されたという情報も否定しました。
2019年3月:JOC会長退任の意向を表明
竹田氏は6月の任期満了をもって会長を退任する意向を示しました。
2019年6月27日:JOC会長を退任
後任には柔道の五輪金メダリストである山下泰裕さんが就任しました。
2021年1月:フランス側の捜査状況が報道される
フランスの予審判事が、日本側の捜査協力について不十分だったとの見方を示したことが報じられました。一方、竹田氏は弁護士を通じて潔白を主張しました。
疑惑について理解しておきたい3つのポイントこの問題では、異なる事実を一つにまとめてしまうと誤解が生じます。
1. 送金があったことは事実。 ただし、送金があったことだけで贈賄が立証されたことにはなりません。
2. JOCの内部調査とフランス当局の捜査は別のもの。 JOCの調査チームが違法性を認めなかったことと、フランス側の捜査がどう結論づけられたかは区別が必要です。
3. 捜査対象になったことと有罪判決は違う。 捜査開始や事情聴取を、逮捕や有罪確定と同じ意味で扱うことはできません。
2026年11月時点でも、この問題をめぐって竹田氏の有罪が確定したとする公的な情報は確認できません。また、フランス側の最終的な捜査処分についても、確定的な結論を示す新たな公表情報は見当たりません。
【2026年現在】竹田恒和は何をしている?JOC名誉会長案の行方
竹田恒和さんは2019年6月にJOC会長を退任しています。
その後、再びJOCの名誉会長に就任したのかという点にも関心が集まりました。
2019年には名誉会長就任を辞退会長退任を控えた2019年6月、JOCでは竹田氏を名誉会長にする案が浮上しました。
しかし、本人は当時、名誉会長への就任を辞退しています。
東京五輪招致をめぐる問題が続いていた時期であり、新しいJOC体制への移行を優先する判断でした。
2025年には再び名誉会長案が浮上2025年6月9日、竹田氏をJOC名誉会長に推薦する案が報道されました。
しかし、翌10日のJOC理事会では、この案は保留になっています。
報道によると、推薦そのものに反対はなかったものの、名誉会長に関する規定の整備が必要と説明されました。
つまり、名誉会長への推薦案が出たことと、正式に就任したことは別の話です。
2026年の現在についても、少なくとも2025年6月の保留報道をもって就任が決定したと解釈することはできません。
また、会長退任後の具体的な日常生活や私的な活動については、広く公表された情報が限られています。
現在の活動を紹介する場合も、過去の肩書きをそのまま現職として扱わないことが大切です。
【プロの結論】竹田恒泰の父親を調べる際に知っておきたい事実と誤解
竹田恒泰さんの父親について調べると、馬術、JOC、旧皇族、東京五輪招致問題という複数のテーマが一緒に検索されます。
しかし、これらはそれぞれ異なる歴史的背景を持っています。
特に注意したいのは、次のような誤解です。
誤解1:竹田恒和は皇族だった?恒和さんの父親である竹田宮恒徳王は、かつて皇族でした。
しかし、1947年10月14日に竹田宮家は皇籍を離脱しています。
恒和さんはその後の1947年11月生まれです。
したがって、恒和さん自身を皇族として紹介するのは正確ではありません。
誤解2:竹田恒泰は現在の皇室の一員?竹田恒泰さんには明治天皇につながる血縁があります。
しかし、血縁関係と現在の皇族という法的身分は別です。
竹田家は1947年に皇籍を離脱した旧皇族の家系であり、現在の皇室制度における皇族とは区別されます。
誤解3:東京五輪招致疑惑で有罪になった?フランス司法当局の捜査対象になったことは報道されています。
しかし、捜査対象になったことと、有罪判決を受けたことは同じではありません。
JOCの調査チームによる判断と、フランス側の司法手続きも別々に整理する必要があります。
情報を見極めるための判断基準竹田家に関する情報を調べる際は、次の3つを基準にすると混乱を避けられます。
- 家系の確認: 皇族だった人物と、皇籍離脱後に生まれた人物を区別する。
- 経歴の確認: 五輪の選手としての出場歴と、JOC会長などの組織運営歴を分ける。
- 疑惑の確認: 報道された疑い、本人の説明、捜査機関の判断、司法上の確定結果を混同しない。
竹田恒泰さんの家系には歴史的な背景がありますが、それだけで本人や父親の社会的活動の評価が決まるわけではありません。人物の経歴と、家系の歴史、司法上の問題を分けて見ることが、正確な理解につながります。
【竹田恒泰の父親】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:竹田恒泰の父親は誰ですか?
A1:父親は竹田恒和さんです。元JOC会長で、1972年ミュンヘン五輪と1976年モントリオール五輪に馬術選手として出場しました。
Q2:竹田恒和はJOC会長をいつまで務めましたか?
A2:2001年10月に就任し、2019年6月27日に退任しました。在任期間は約18年間です。
Q3:竹田恒和の父親は誰ですか?
A3:祖父にあたる人物は竹田宮恒徳王です。明治天皇の第六皇女・昌子内親王の長男で、戦後は皇籍を離脱しました。
Q4:竹田恒泰の母親は誰ですか?
A4:系譜資料では、母親は松見昌子さんとされています。父親の竹田恒和さんの妻にあたります。
Q5:竹田恒泰は現在の皇族ですか?
A5:現在の皇族ではありません。竹田家は1947年に皇籍を離脱した旧皇族の家系です。明治天皇との血縁関係と、現在の皇族としての身分は区別されます。
Q6:竹田恒和は東京五輪招致疑惑で逮捕・有罪になったのですか?
A6:フランス司法当局の捜査対象になったことは事実ですが、捜査対象であることと逮捕・有罪は異なります。竹田氏は疑惑を否定しており、有罪判決が確定したとする公的情報は確認できません。
Q7:竹田恒和は2026年現在、JOC名誉会長ですか?
A7:2025年6月に名誉会長への推薦案が報道されましたが、同月10日の理事会では保留となりました。推薦案の報道だけで正式就任したとは判断できません。
竹田恒泰さんの父親は、元JOC会長の竹田恒和さんです。
恒和さんは1972年ミュンヘン五輪、1976年モントリオール五輪に馬術選手として出場し、2001年から2019年までJOC会長を務めました。
祖父の竹田宮恒徳王は、明治天皇の第六皇女・昌子内親王の長男です。竹田家は1947年10月に皇籍を離脱しており、恒和さんはその翌月に生まれています。
また、東京五輪招致をめぐるフランス司法当局の捜査と2019年のJOC会長退任、2025年の名誉会長推薦案の保留も、恒和さんの経歴を理解するうえで重要な出来事です。
竹田恒泰さんの父親を理解する鍵は、馬術選手としての実績、JOC会長としての活動、そして竹田宮家の歴史という3つの側面にあります。
2026年以降も竹田家の歴史や旧皇族をめぐる議論を理解するには、1947年の皇籍離脱という制度上の事実と、個々の人物の現在の立場を分けて考えることが重要です。
主な参照資料- JOC公式発表・IOC委員選出記録、役員選任記録。
- 慶應義塾体育会馬術部の公式競技史、竹田恒和氏の経歴資料。
- 衆議院議事録、明治神宮歴史データベースの皇籍離脱に関する記録。
- テレビ朝日の2019年JOC会長退任報道、JOC調査に関する東京都議会記録。
- 日刊スポーツ、スポニチ、デイリースポーツによる招致疑惑と2025年の名誉会長案に関する報道。
- 竹田宮家の系譜資料。