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タロとジロはなぜ生き延びた?1958年の樺太犬15頭と生存の真相、南極物語との違いを徹底解説

土森 弦 土森 弦 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
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1959年1月14日、南極の昭和基地で、日本中を驚かせる知らせが届いた。約1年前、極寒の南極に取り残された15頭の樺太犬のうち、タロとジロの2頭が生きていることが確認されたのだ。多くの犬が命を落としたと考えられていたなかでの生存確認は、当時の日本社会に大きな感動をもたらした。

2026年は、日本の南極観測が始まった1956年から70年に当たる節目の年である。タロとジロの実話は、映画『南極物語』によって広く知られるようになったが、実際に何を食べて生き延びたのか、なぜ2頭だけが帰還できたのかについては、今も興味深い謎が残されている。国立極地研究所の記録、図書館の調査資料、犬係を務めた北村泰一氏の証言などをたどると、映画では描き切れなかった出来事が見えてくる。

【実話の全貌】タロとジロとは何者?南極に渡った樺太犬の物語

タロとジロ

タロとジロは、日本の第一次南極観測隊に同行した樺太犬である。2頭は兄弟犬で、南極での犬ぞり活動を支えるために訓練され、観測隊員とともに過酷な環境を経験した。

樺太犬は、寒冷地での作業に適した犬種として知られている。厚い被毛と頑丈な体格を持ち、雪上でそりを引く作業に活用されてきた。

1957年2月、第一次南極観測隊が南極に連れて行った犬は22頭。そのうち19頭が越冬に参加した。タロとジロも、この犬たちの一員だった。

当時の南極観測では、現在のように雪上車や輸送設備が整っていたわけではない。犬ぞりは、観測隊が基地周辺や内陸部を移動するための重要な手段だった。

犬たちは単なる輸送手段ではなく、隊員と生活を共にする存在でもあった。南極の厳しい自然のなかで、人間と犬が協力して観測活動を進めていたのである。

第一次南極観測隊と第二次南極観測隊の事情

日本の南極観測は、国際地球観測年への参加を契機に始まった。

1956年11月8日、南極観測船「宗谷」が東京の晴海埠頭を出発。第一次南極観測隊は1957年1月29日に南極へ到着し、東オングル島に昭和基地を開設した。

その後、第二次南極観測隊が基地の運営を引き継ぐ予定だった。しかし、南極の海氷や悪天候によって宗谷の接岸が困難になり、第二次隊は越冬を断念することになる。

この判断が、タロとジロをめぐる悲劇の始まりだった。

【1958年の悲劇】樺太犬15頭が置き去りにされた経緯と1959年の再会

1958年2月、第二次南極観測隊は昭和基地での越冬を断念し、隊員たちは撤収を余儀なくされた。

問題は、犬たちを日本に連れ帰ることができなかったことだ。

悪天候や輸送上の制約から、15頭の樺太犬が昭和基地に残されることになった。犬たちは首輪と鎖で係留され、次の隊が到着するまでの間、餌を与えられる予定だった。

しかし、第二次隊による越冬そのものが中止となり、基地は無人になった。

人間が戻ってくるという前提が崩れたことで、犬たちは自力で生き延びなければならない状況に置かれた。

1959年1月14日、第3次南極観測隊が発見

翌1959年1月14日、第3次南極観測隊が昭和基地を訪れた。

そこで隊員たちが目にしたのは、想像を超える光景だった。

15頭のうち7頭は鎖につながれたまま死亡しており、6頭は姿を消していた。そして、残された2頭が生存していた。

その犬こそタロとジロだった。

第1次隊で犬係を務め、第3次隊にも参加していた北村泰一氏は、2頭の姿を確認したものの、成長した犬たちを最初はすぐに判別できなかった。

そこで、以前の名前を呼びかけたところ、タロは尻尾を動かし、ジロは特徴的な前足を上げる仕草を見せたという。

この再会は、単に犬が生き残っていたという話ではない。

人間の助けが届かない場所で、約11か月もの間、2頭が生き続けていたという事実が、多くの人々を驚かせたのである。

タロとジロをめぐる重要な年表
年月日 出来事 内容
1956年11月8日 宗谷が出航 第一次南極観測隊が日本を出発
1957年1月29日 昭和基地開設 東オングル島に基地を設営
1957年2月 犬たちが南極へ 樺太犬22頭が南極に渡る
1958年2月 15頭が残される 第二次隊が越冬を断念して撤収
1959年1月14日 タロとジロを発見 第三次隊が2頭の生存を確認
1960年7月 ジロが死亡 第4次越冬中に病死
1961年5月 タロが帰国 第4次越冬隊とともに日本へ
1970年8月 タロが死亡 北海道大学植物園で余生を過ごした後、老衰で死亡
2026年 観測開始70年 日本の南極観測が節目を迎える

この年表からも分かるように、タロとジロの生存確認は第三次南極観測隊の時代に起きた出来事である。第一次隊が犬たちを南極に連れて行き、第二次隊の越冬断念によって15頭が残され、第三次隊が2頭を発見したという流れを押さえておきたい。

国立極地研究所の南極観測史や国立公文書館の記録も、この観測隊の交代と昭和基地の歴史を裏付けている。

【最大の謎】タロとジロは何を食べた?1年間生き延びた理由を検証

タロとジロについて、現在でも多くの人が疑問に感じているのが食料の問題だ。

南極は、人間にとっても動物にとっても厳しい環境である。昭和基地周辺で生活していた犬たちが、約11か月にわたって何を食べ、どのように栄養を確保していたのかは、簡単には説明できない。

実際、犬たちの食料については複数の説が存在する。

1. アザラシの糞を食べていた説

タロとジロの食料として、以前から挙げられてきたのがアザラシの糞である。

北村泰一氏の1982年の著書『南極第一次越冬隊とカラフト犬』では、当時の状況を踏まえた生存理由の推測として、アザラシの糞やペンギンが取り上げられている。

また、第三次隊で犬係を務めた中村純二氏も、著書のなかでアザラシの糞を主食としていた可能性を示している。

こうした説が生まれた背景には、南極の野生動物の存在がある。

ただし、アザラシの糞を実際に何日間、どの程度食べていたのかを示す直接的な記録はない。

そのため、食料候補の一つとして扱うのが妥当だ。

2. ペンギンを捕まえて食べていた説

もう一つ有名なのが、ペンギンを捕獲して食べていたという説である。

南極にはペンギンが生息しており、犬たちがペンギンに接近したり、襲ったりすること自体は確認されている。

しかし、ここには重要な反証がある。

北村氏の証言を紹介したPHPオンラインの記事によれば、第一次越冬時の犬たちはペンギンを襲うことはあっても、食べることはほとんどなかったという。

第三次隊が昭和基地に入った際、基地周辺でペンギンの死体が見つかっているが、食べられた形跡はなかった。

加えて、北村氏は第三次越冬中にタロとジロがペンギンを襲う様子を目撃したものの、やはり食べてはいなかったとされる。

したがって、ペンギンを主食にしていたと断定することはできない。

3. 基地に残された犬用食料を食べた説

一見すると、最も自然に思えるのが基地に残された犬用食料を食べたという説だ。

犬たちのために用意されていた食料には、干鱈、ミガキニシン、ドッグペミカンなどがあった。

しかし、北村氏が関係資料を調べた結果、これらの食料には食べた形跡がなかったとされる。

PHPオンラインに掲載された『その犬の名を誰も知らない』の抜粋では、約1か月分の犬用食料が開梱され、犬たちが食べやすい状態で置かれていたにもかかわらず、手つかずだったという調査内容が紹介されている。

人間用の食料についても、基地内に保管された食品を犬たちが食べた形跡は確認されていない。

つまり、基地の食料を食べて生き延びたという単純な説明にも無理がある。

4. 共食い説は本当だったのか

タロとジロについては、死亡した仲間の犬を食べたのではないかという説も広まった。

しかし、北村氏が確認した鎖につながれた犬7頭の遺体には、共食いの形跡がなかったとされる。

PHPオンラインの記事では、北村氏がこの説を明確に否定している。

共食いはなかった。

これは、犬たちの生存をめぐる誤解を解くうえで重要な証言である。

結局、なぜタロとジロだけが生き残ったのか

ここで注目したいのが、2020年に刊行された嘉悦洋氏の著書『その犬の名を誰も知らない』である。

北村氏の監修のもと、当時の資料や証言を再検討した同書では、タロとジロ以外にも生存していた犬がいた可能性が掘り下げられている。

その犬の候補として浮かび上がったのが、リキという名前の犬だ。

1968年、昭和基地周辺の雪が解けた場所から、行方不明だった樺太犬の死骸が発見された。後年の調査では、この犬がリキだった可能性が高いとされている。

リキは経験豊富な犬で、タロとジロのような若い犬を導いていた可能性も指摘されている。

ただし、リキが実際にどのように2頭を助けたのか、食料確保をどの程度支えたのかは、直接確認された事実ではない。

タロとジロの生存理由を考えるうえでは、次の3点が重要になる。

- 首輪から抜け出し、行動できる状態になったこと。
- 南極の自然環境のなかで食料を確保できた可能性があること。
- 2頭だけでなく、ほかの犬が生存に関わっていた可能性があること。

特に、幼い犬だったタロとジロが、経験豊富な犬と行動していた可能性は興味深い。

タロとジロの生存は、単純に寒さに強かったからではなく、行動の自由、環境への適応、犬同士の関係など、複数の条件が重なった結果だった可能性がある。

【映画との違い】『南極物語』はどこまで実話?感動の再会に隠された真実

タロとジロの物語を広く知らしめた作品が、1983年公開の映画『南極物語』である。

監督は蔵原惟繕。高倉健、渡瀬恒彦、夏目雅子、荻野目慶子らが出演し、南極に取り残された犬たちと、彼らを置いて帰らざるを得なかった隊員たちの葛藤を描いた。

映画は実際の南極観測隊と樺太犬15頭の置き去りを題材にしている。

ただし、ドキュメンタリーではなく、実話を基にした劇映画である。

映画と実際の出来事の主な違い

違い1:登場人物は映画用に再構成されている

映画では、高倉健演じる潮田暁、渡瀬恒彦演じる越智健二郎などの人物を中心に物語が展開する。

これらは実際の観測隊員をそのまま再現したドキュメンタリー上の人物描写ではない。映画として物語を成立させるために構成された役柄である。

違い2:タロとジロとの再会シーン

映画では、犬たちが雪原を走って隊員たちのもとへ向かう、印象的な再会の場面が描かれている。

一方、当時の再会を北村氏が振り返った証言では、実際の2頭は隊員たちを遠巻きに見ており、すぐに飛びついてくるような様子ではなかった。

北村氏が犬の名前を呼ぶと、タロは尻尾を動かし、ジロは前足を上げた。

映画のような劇的な演出とは異なる、静かな再会だったのである。

違い3:犬たちの生存過程

映画は犬たちのサバイバルを壮大な物語として描いているが、現実には何を食べ、どのような場所で生活していたのか、すべてが判明しているわけではない。

実際の記録には分からない部分が残っている。

映画のように一連の出来事を明確なストーリーとして説明することはできないのだ。

『南極物語』は実話ではないのか?

答えは、実話を基にしたフィクションである。

15頭の犬が南極に取り残されたこと、翌年タロとジロが生存していたこと、観測隊員が再会したことは歴史的な出来事だ。

一方、登場人物の描写や犬たちの行動、再会の演出には映画独自の脚色がある。

フジテレビの映画紹介でも、実際のタロとジロのエピソードを基にした作品として紹介されている。

映画を楽しむ際には、実際の南極観測史と映画の演出を分けて考えると、作品の見方も変わってくる。

【タロとジロのその後】ジロは南極で死亡、タロは北海道大学へ

生存が確認されたタロとジロは、その後も南極に残り、観測隊員たちと生活した。

2頭は南極で新たに到着した犬たちと過ごし、観測隊員の心を支える存在となった。

しかし、2頭の運命は同じではなかった。

ジロの最期は1960年7月

ジロは1960年7月、第4次南極観測隊の越冬中に病死した。

当時の年齢は4歳6か月だった。

生存確認から約1年半後、ジロは南極の地で生涯を終えたことになる。

タロは1961年5月に日本へ帰国

一方、タロは第4次越冬隊とともに日本へ帰国した。

帰国後は北海道大学植物園で暮らすことになり、多くの人々に親しまれた。

1961年5月には昭和天皇と香淳皇后にも対面している。

さらに1963年5月には、かつて南極観測に携わった宗谷の乗組員たちとも再会した。

その後も北海道大学植物園で生活し、1970年8月、14歳7か月で老衰により亡くなった。

南極から帰国した後も約9年間を日本で過ごしたことになる。

2026年現在、タロとジロの剥製はどこにある?

タロとジロは亡くなった後も、その姿が剥製として保存されている。

タロの剥製:北海道大学植物園

タロの剥製は、北海道札幌市にある北海道大学植物園の博物館本館で見ることができる。

北海道大学植物園の公式案内でも、南極観測で活躍した樺太犬タロの剥製が展示対象として紹介されている。

南極から帰国したタロが余生を過ごした場所に、その姿が残されているという点にも歴史的な意味がある。

ジロの剥製:国立科学博物館

ジロの剥製は、東京都台東区上野にある国立科学博物館に保存・展示されている。

同館の常設展示データベースには「カラフト犬(ジロ)」として登録されており、展示場所は日本館2階北翼である。

国立極地研究所の南極・北極科学館も、タロとジロの剥製の所在を公式に紹介している。

2026年現在、2頭の姿を実際に見たい場合は、北海道大学植物園と国立科学博物館が主な訪問先となる。なお、開園日や展示状況は訪問前に各施設の公式案内を確認したい。

【もう一つの真実】15頭の樺太犬と南極観測が残した教訓

タロとジロの物語は、2頭が生き残った奇跡だけで語り尽くせるものではない。

1958年に残された15頭のうち、7頭は鎖につながれたまま命を落とし、6頭の消息も分からなくなった。

その後の調査では、1968年に昭和基地周辺で別の樺太犬の死骸が発見されていたことも明らかになっている。

この犬については、2020年の『その犬の名を誰も知らない』で、リキだった可能性が詳しく検討された。

つまり、タロとジロの生存物語には、まだ知られていなかった犬たちの存在も関係していたのである。

また、1959年9月には、置き去りになった15頭を記念するブロンズ像が東京タワーの入口に設置された。

その像は後に国立極地研究所へ移設され、南極・北極科学館で展示されている。

この像が伝えているのは、タロとジロだけではなく、南極に渡ったすべての犬たちの存在だ。

日本の南極観測は、その後も続いた。

犬ぞりは第6次観測隊の昭和基地閉鎖まで観測活動に使われたが、観測再開後は雪上車などの機械化が進み、純粋な樺太犬が南極観測に同行することはなくなった。

タロとジロの時代は、日本の南極観測における黎明期を象徴する時代でもある。

【よくある質問】タロとジロに関するFAQ

Q1:タロとジロは本当に1年間、南極で生き延びたのですか?

A1:実話である。1958年2月に15頭が昭和基地に残され、1959年1月14日にタロとジロの生存が確認された。厳密には約11か月であり、365日間の完全な1年間ではない。

Q2:タロとジロは何を食べて生きていたのですか?

A2:確定した食料は分かっていない。アザラシの糞やペンギンなどが候補として挙げられたが、ペンギンを食べていたという説には疑問が示されている。基地に残された犬用食料も手つかずだったという調査があり、生存の仕組みには未解明の部分が残る。

Q3:タロとジロは現在どこで見られますか?

A3:タロの剥製は北海道大学植物園、ジロの剥製は国立科学博物館に展示されている。実際に訪問する場合は、それぞれの施設の開館情報と展示状況を確認しておきたい。

タロとジロの物語は、1958年に南極の昭和基地へ残された15頭の樺太犬のうち、2頭が翌1959年1月14日に生存していることを確認された実話である。

約11か月に及ぶ南極での生存を可能にした理由は、現在も完全には解明されていない。

食料については、アザラシの糞やペンギンなどの説がある一方、犬用食料が手つかずだったという調査結果もある。また、行方不明になった犬のなかにリキという第三の犬がいた可能性も、後年の研究によって注目されるようになった。

映画『南極物語』は、この実話を基に人間と犬の絆を描いた作品だが、現実の再会や生存過程には映画とは異なる事実が存在する。

【プロの結論】

タロとジロの物語を理解するうえで大切なのは、生き残った2頭だけに注目しないことだ。

15頭の樺太犬が南極に渡り、そのうち多くが帰国できなかったという背景がある。タロとジロの生還は奇跡として語り継がれる一方、南極観測の黎明期における輸送の困難さや、極地での動物との関わり方を考える歴史的な出来事でもある。

2026年、日本の南極観測は開始から70年という節目を迎えた。

北海道大学植物園に残るタロの姿と、国立科学博物館に保存されているジロの姿は、南極観測を支えた犬たちの歴史を今に伝えている。

2頭の生存の謎を追うことは、単なる感動物語の振り返りではない。記録に残された事実と、まだ解明されていない部分の両方に目を向けることで、タロとジロ、そして南極に渡った15頭すべての存在が、より深く理解できる。

編集上の補足: 2026年時点の情報を反映し、食料については北村泰一氏の著書に基づく旧来の推測と、後年の再検証を区別しています。特に「ペンギンを食べた」「アザラシの糞だけで生きた」といった説明を確定事実として扱わないことが、この記事の要点です。

主要な参照資料は、国立極地研究所、国立公文書館、国立国会図書館レファレンス協同データベース、国立科学博物館、北海道大学植物園、北村泰一氏監修の関連資料です。

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土森 弦

アニメ・漫画の制作発表を担当。制作会社と出版社の公式告知、原作者コメントを確認してから記事化します。

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