2026年現在、立浪部屋の師匠を務めているのは、第7代立浪親方・立浪耐治(たつなみ・たいじ)です。現役時代は小結・旭豊勝照(あさひゆたか・かつてる)として活躍し、引退後の1999年2月に立浪部屋を継承しました。本名は市川耐治。日本相撲協会の公式プロフィールでも、師匠としての立場や現役時代の戦歴が確認できます。
立浪親方が注目される理由は、単に名門相撲部屋を率いているからだけではありません。第74代横綱・豊昇龍を育て上げた師匠であり、先代との年寄名跡をめぐる裁判、歴代親方から受け継いだ部屋の伝統、出羽海一門への所属など、相撲界の歴史を語るうえでも重要な人物です。2026年11月場所の所属力士や豊昇龍の最新状況も含め、立浪部屋の現在を整理します。
【2026年最新】立浪部屋の親方は誰?立浪耐治の本名・年齢・プロフィール

立浪部屋の親方は、立浪耐治(たつなみ・たいじ)です。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、年寄名が立浪耐治、本名が市川耐治と記載されています。現役時代の四股名は旭豊勝照で、最高位は小結でした。
2026年11月現在、58歳。相撲協会では委員を務め、立浪部屋の師匠として弟子の育成と部屋の運営を担っています。
立浪親方の基本プロフィール| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 現在の名前 | 立浪耐治 |
| 読み方 | たつなみ・たいじ |
| 本名 | 市川耐治 |
| 生年月日 | 1968年9月10日 |
| 2026年11月現在の年齢 | 58歳 |
| 出身地 | 愛知県春日井市 |
| 現役時代の四股名 | 旭豊勝照 |
| 現役時代の最高位 | 小結 |
| 所属部屋(現役時代) | 大島部屋 |
| 現在の所属部屋 | 立浪部屋 |
| 相撲協会での役職 | 委員 |
出典は日本相撲協会の年寄プロフィールおよび立浪部屋の公式情報です。
「立浪耐治」と「旭豊勝照」は同一人物検索すると「立浪耐治」「旭豊勝照」「市川耐治」という3つの名前が登場するため、別人だと思う人もいる可能性があります。
しかし、いずれも同じ人物を指しています。
- 市川耐治: 生まれたときからの本名。
- 旭豊勝照: 現役力士時代の四股名。
- 立浪耐治: 引退後に襲名した年寄名跡と親方としての名前。
相撲界では、現役時代の四股名と引退後の年寄名が異なることは珍しくありません。
立浪親方の場合も、旭豊として土俵に立っていた時代と、現在の親方としての活動を区別すると理解しやすくなります。
【元小結・旭豊の現役時代】経歴と成績は?金星4個の実力者
立浪親方の現役時代は、1990年代の大相撲を知るファンにとって印象深いものでした。
旭豊は、愛知県春日井市出身。高校卒業後の1987年3月場所に初土俵を踏み、大島部屋で力士としてのキャリアをスタートさせました。
入門当初は病気やけがによる休場も経験しましたが、その後は着実に番付を上げています。
旭豊の出世と三役昇進1993年11月場所で新十両に昇進。1995年3月場所には新入幕を果たしました。
そして、大きな転機となったのが1996年です。
同年3月場所では横綱・貴乃花を破って初金星を獲得。優勝した貴乃花に唯一の黒星をつける活躍で、殊勲賞を受賞しました。
同年5月場所には新小結に昇進し、三役の座をつかみます。
さらに9月場所では横綱・曙を破って金星を獲得し、敢闘賞も受賞しました。
上位力士を相手に臆せず戦う姿から、実力派の上位キラーとして知られました。
旭豊勝照の現役時代の成績日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている戦歴は、次のとおりです。
| 項目 | 成績 |
|---|---|
| 初土俵 | 1987年3月場所 |
| 新十両 | 1993年11月場所 |
| 新入幕 | 1995年3月場所 |
| 新三役 | 1996年5月場所 |
| 最高位 | 小結 |
| 引退場所 | 1999年1月場所 |
| 生涯戦歴 | 364勝341敗26休 |
| 出場した場所数 | 72場所 |
| 幕内戦歴 | 160勝198敗 |
| 幕内在位 | 24場所 |
| 幕内優勝 | 0回 |
| 十両優勝 | 1回 |
| 幕下優勝 | 2回 |
| 殊勲賞 | 1回 |
| 敢闘賞 | 1回 |
| 技能賞 | 0回 |
| 金星 | 4個 |
日本相撲協会のプロフィールによると、旭豊の身長は189センチ、体重は129キロ。
得意技は左四つ・寄りです。
長身を生かした組み相撲に加え、投げ技にも対応できる柔軟さを持っていました。
金星4個という数字も特徴的です。横綱との対戦で結果を残し、殊勲賞と敢闘賞をそれぞれ1回獲得しています。
幕内優勝こそありませんでしたが、横綱や大関を脅かす存在として、幕内上位で存在感を示した力士でした。
1999年1月場所を最後に現役を引退。その翌月、親方として新しい人生を歩み始めます。
【歴代親方との関係】立浪部屋はどのように継承されてきた?
立浪部屋は、大正時代から続く相撲界の名門です。
歴史を振り返ると、双葉山、羽黒山、双羽黒といった横綱を輩出してきました。
現在の立浪親方は第7代にあたり、先代から受け継いだ伝統を守りながら部屋を運営しています。
立浪部屋の歴代師匠と主な力士歴代の師匠を整理すると、立浪部屋がどのように受け継がれてきたかが分かります。
第4代立浪親方の緑嶌友之助は、大正時代に部屋の基礎を築いた人物です。
その時代に育った代表的な力士が、第35代横綱・双葉山です。
双葉山は69連勝という不滅の記録で知られ、立浪部屋の歴史を象徴する存在となりました。
第5代は第36代横綱・羽黒山政司です。1952年12月に部屋を継承し、若羽黒や旭國などの実力者を育てました。
続く第6代は元関脇・安念山治です。現役時代には羽黒山の四股名も名乗っており、第5代の横綱・羽黒山とは別人です。
第6代の時代には、第60代横綱・双羽黒や大関・旭國などが活躍しました。
このように、立浪部屋は代替わりを経ながら、複数の横綱や大関を輩出してきた歴史を持っています。
1999年2月、旭豊が第7代立浪を襲名現在の立浪親方が部屋を継承したのは、1999年2月23日です。
当時の先代立浪親方は第6代で、元関脇・安念山(のちの羽黒山)でした。
旭豊は1995年に先代の娘と結婚し、養子縁組を結んでいました。その後、1999年1月場所限りで現役を引退し、先代の定年退職に伴って第7代立浪を襲名しました。
この継承は、単なる師匠の交代ではありません。
名門部屋の年寄名跡と運営を、先代と家族関係を結んだ元小結が引き継ぐという、当時の相撲界でも注目される出来事でした。
【年寄名跡をめぐる裁判】立浪親方と先代の対立はどう決着した?
立浪親方の経歴を語るうえで避けられないのが、先代との間で起きた年寄名跡をめぐる裁判です。
1999年に部屋を継承した後、先代と第7代立浪親方の間では、部屋の運営や年寄名跡の承継金などをめぐって対立が生じました。
この問題は家庭内の争いだけにとどまらず、相撲界の年寄名跡制度にも関わる民事訴訟へと発展します。
裁判に至るまでの経緯主な流れは次のとおりです。
- 1995年: 旭豊が先代立浪親方の娘と結婚し、養子縁組を結ぶ。
- 1999年1月: 旭豊が現役を引退。
- 1999年2月: 第7代立浪を襲名し、部屋を継承。
- 2000年8月: 先代夫妻が家庭裁判所に調停を申し立てる。
- 2001年: 先代が年寄名跡の継承金などを求めて民事訴訟を起こす。
- 2003年2月: 東京地裁が先代側の請求を認める判決を出す。
- 2004年1月: 東京高裁が一審判決を覆し、先代側の請求を棄却。
- 2004年7月: 最高裁が先代側の上告を退け、立浪親方側の勝訴が確定。
裁判で特に注目されたのが、年寄名跡「立浪」の襲名継承金です。
先代側は、旭豊に対して1億7500万円の支払いを求めました。
2003年2月の東京地裁判決では、両者の間に相当額の継承金を支払う合意があったとして、先代側の請求が認められました。
しかし、旭豊側はこれを不服として控訴します。
2004年1月の東京高裁では一審判決が破棄され、先代側の請求が棄却されました。さらに同年7月、最高裁も先代側の上告を退けています。
結果として、最終的には第7代立浪親方側の勝訴となりました。
この裁判は、年寄名跡の承継と金銭の関係をめぐる問題としても注目されました。
単に部屋の所有や親方同士の対立という話ではなく、相撲界における年寄名跡の制度的な問題を浮き彫りにした出来事だったのです。
【豊昇龍との師弟関係】立浪親方は横綱をどう育てた?
現在の立浪親方を語るうえで、最も大きな実績の一つが、第74代横綱・豊昇龍の育成です。
豊昇龍はモンゴル・ウランバートル出身で、元横綱・朝青龍の甥にあたります。
ただし、朝青龍と立浪親方は別人です。
朝青龍は豊昇龍の叔父であり、立浪親方は豊昇龍を大相撲の世界に導いた師匠です。
豊昇龍との出会いは高校時代豊昇龍は日本の高校に留学し、当初はレスリングに取り組んでいました。
進学先は現在の日体大柏高校です。
高校時代、相撲の面白さに触れたことをきっかけにレスリング部から相撲部へ転向しました。
その豊昇龍に声をかけたのが、当時の立浪親方でした。
2025年3月の週刊プレイボーイのインタビュー記事では、立浪親方が豊昇龍を初めて見たときの印象として、次の言葉が紹介されています。
「(豊昇龍を)ひと目見たときから、この子は絶対に強くなる!と感じました」
その後、豊昇龍には複数の相撲部屋から勧誘がありましたが、最初に大相撲への道を示してくれた立浪親方のもとに入門することを選びました。
四股名「豊昇龍」に込められた意味豊昇龍という四股名にも、師弟関係を象徴する意味があります。
- 「豊」:師匠の現役時代の四股名・旭豊から取った文字。
- 「昇龍」:叔父である朝青龍の「青龍」をもとにした文字。
つまり、豊昇龍という名前には、師匠と叔父という2人の存在が反映されています。
2018年初場所に初土俵を踏んだ豊昇龍は、2019年九州場所で新十両、2020年秋場所で新入幕を果たしました。
2023年7月場所には幕内初優勝を達成し、同年9月場所で大関に昇進。
そして、2025年1月場所で優勝を果たし、1月29日に日本相撲協会から第74代横綱への昇進が正式に承認されました。
横綱昇進時に立浪親方が語った言葉2025年1月29日の横綱昇進伝達式後、立浪親方は弟子の成長について次のように語っています。
「こんなに師匠冥利(みょうり)に尽きることはない。この子は強くなると思っていた。見る目は間違っていなかった。努力の結果だ。相撲で強いのは当たり前。尊敬される人間になってほしい」
日刊スポーツが報じたこの発言からは、横綱昇進を競技成績だけでなく、人間としての成長にも結び付けて考える師匠の姿勢がうかがえます。
2026年11月、豊昇龍の復帰をめぐる最新状況2026年の豊昇龍は、右膝の手術などの影響で3場所連続休場という厳しい状況に直面しています。
11月4日付の日刊スポーツの報道によると、豊昇龍は九州場所に向けて福岡県那珂川市の武隈部屋へ出稽古に出向き、朝乃山や豪ノ山と15番取って13勝2敗という内容でした。
本人は九州場所への出場について意欲を示し、師匠の立浪親方と相談して出場可否を決める意向を示しました。
7月下旬に右膝の手術を受けたこともあり、横綱としての復帰を急ぐのか、状態を優先するのかが大きな焦点になっています。
2026年11月4日の報道時点では、九州場所への出場は最終決定前でした。
11月場所の番付に西横綱として名前が掲載されていることと、実際に出場することは別の問題です。
師匠と弟子がどのような判断を下すのかは、立浪部屋の今後を考えるうえでも要点です。
【2026年最新】立浪部屋の所属力士・一門・所在地と師匠の評判
立浪部屋は、現在も豊昇龍を中心に複数の力士が所属する相撲部屋です。
日本相撲協会の2026年11月場所の部屋紹介では、所属力士の番付も公開されています。
2026年11月場所の所属力士一覧公式番付に掲載されている力士は次のとおりです。
| 番付 | 力士 |
|---|---|
| 幕内 | 豊昇龍 |
| 十両 | 明生 |
| 幕下 | 大花竜、北大地、天空海、上戸 |
| 三段目 | 木竜皇、春雷、多良浪 |
| 序二段 | 一翔、筑波山、北洋山、幸奄美 |
| 序ノ口 | 刻竜浪 |
合計14人です。
特に注目したいのが、豊昇龍と明生の存在です。
豊昇龍は第74代横綱、明生は三役経験を持つ実力者です。
また、木竜皇や大花竜など、上位を目指す若手力士も在籍しています。
なお、上記は2026年11月場所の番付に基づく一覧であり、場所ごとに番付や所属状況は変わります。
立浪部屋は出羽海一門に所属立浪部屋の現在の所属は出羽海一門です。
ただし、立浪部屋は長い歴史の中で所属する一門が変わっています。
かつては立浪一門に属していましたが、2012年には貴乃花グループに合流。その後、2018年に同グループを離れ、同年9月18日に出羽海一門への加入が認められました。
2025年のスポーツニッポンの記事でも、立浪部屋が2018年から出羽海一門に所属していることが紹介されています。
この一門の伝統は、豊昇龍の横綱土俵入りにも関係しています。
豊昇龍が選んだ雲龍型は、出羽海一門で代々継承されてきた型でもあります。
立浪部屋の歴史と現在の所属一門が、横綱の土俵入りという形でも結び付いているのです。
立浪部屋の所在地は東京都台東区橋場立浪部屋の現在の所在地は、次のとおりです。
立浪部屋
〒111-0023 東京都台東区橋場1-16-5
日本相撲協会・立浪部屋公式サイト掲載住所
立浪部屋は、もともと東京都墨田区両国にありました。
2007年8月には茨城県つくばみらい市へ移転。その後、2021年7月末に東京都台東区へ再移転しました。
移転先は、以前に常盤山部屋が使用していた施設です。
台東区の公式情報でも、2021年7月に立浪部屋がつくばみらい市から移転したことが紹介されています。
立浪親方の評判は?師匠としての実績を検証立浪親方の評判を考える際、最も分かりやすい判断材料は弟子の育成実績です。
特に豊昇龍を横綱に育てたことは、親方としての大きな実績です。
また、関脇経験者の明生や、次の上位進出を目指す力士たちを抱え、複数の階級で弟子を育成しています。
立浪部屋の公式サイトに掲載された親方自身の挨拶では、部屋の魅力について次のように説明しています。
「今の立浪部屋の魅力は横綱を中心とした若い力にあると思っております。」
加えて、弟子たちが互いに刺激を受けながら成長していくことや、YouTube、Instagramなどを活用して稽古風景を発信していることにも触れています。
ここから読み取れるのは、伝統を守るだけでなく、若手育成や情報発信にも取り組む部屋づくりです。
もちろん、親方の人格や指導方法に対する評価を一つの意見だけで決めることはできません。
しかし、横綱を育てた実績、関取の育成、相撲協会での委員としての活動は、客観的に確認できる評価材料です。
【立浪部屋親方に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:立浪部屋の親方は現在誰ですか?
A1:2026年現在、立浪部屋の師匠は第7代立浪親方の立浪耐治です。現役時代は小結・旭豊勝照として活躍しました。
Q2:立浪親方の本名は何ですか?
A2:本名は市川耐治です。立浪耐治は親方としての名前、旭豊勝照は現役時代の四股名です。
Q3:立浪親方はいつ立浪部屋を継承しましたか?
A3:1999年2月23日です。先代の第6代立浪親方が定年退職したことに伴い、旭豊が現役を引退して第7代立浪を襲名しました。
Q4:立浪親方と豊昇龍は血縁関係がありますか?
A4:血縁関係ではありません。立浪親方は豊昇龍の師匠です。豊昇龍の叔父は第68代横綱・朝青龍です。
Q5:立浪部屋は何一門ですか?
A5:現在は出羽海一門に所属しています。2018年9月に加入が認められました。
Q6:立浪部屋はどこにありますか?
A6:東京都台東区橋場1-16-5です。2021年7月に茨城県つくばみらい市から移転しました。
Q7:旭豊の現役時代の最高位と成績は?
A7:最高位は小結です。生涯戦歴は364勝341敗26休、金星4個、殊勲賞1回、敢闘賞1回を記録しています。
立浪部屋の親方は、元小結・旭豊勝照こと立浪耐治です。本名は市川耐治で、1999年2月23日に第7代立浪を襲名してから、長年にわたり部屋を率いてきました。
その歩みには、現役時代の金星4個という実績だけでなく、先代との年寄名跡をめぐる裁判や、一門の移籍、部屋の移転といった大きな転換点がありました。
そして、現在の立浪部屋を象徴する存在が第74代横綱・豊昇龍です。
高校時代に才能を見いだされ、立浪部屋に入門し、2025年に横綱へ昇進した豊昇龍の歩みは、師匠の育成実績を示す大きな出来事となりました。
2026年11月現在は、豊昇龍の右膝の回復と九州場所への復帰判断も注目されています。明生や木竜皇をはじめとする所属力士の成長も、部屋の今後を左右する要素です。
【プロの結論】
立浪親方を理解するためには、次の3つの視点が欠かせません。
1. 現役力士としての実績: 小結まで昇進し、横綱から金星4個を獲得した実力者だったこと。
2. 部屋の継承と歴史: 1999年の継承と年寄名跡をめぐる裁判を経て、現在の立浪部屋を築いてきたこと。
3. 師匠としての育成力: 豊昇龍を第74代横綱へ導き、次世代の力士育成にも取り組んでいること。
立浪部屋は、双葉山や羽黒山を輩出した伝統を持ちながら、豊昇龍という新たな横綱を生み出しました。
今後は横綱の復帰と次世代の関取育成が、立浪親方の指導者としての歩みを見ていくうえで重要な注目点になります。
主な確認資料:日本相撲協会公式プロフィール・相撲部屋紹介、立浪部屋公式サイト、日刊スポーツ、スポーツニッポン、Sportiva、台東区公式情報。