富岡八幡宮事件を語るうえで、もう一つ重要なのが、2017年9月28日に行われた神社本庁からの離脱だ。
これは事件の約3か月前に起きた出来事であり、宮司継承問題と密接に関係していた。
なぜ神社本庁を離れる必要があったのか富岡八幡宮は、それまで神社本庁に所属する神社だった。
神社本庁は、全国の神社を包括する宗教法人であり、所属する神社の宮司人事にも関与する仕組みを持っている。
2010年に興永さんが退任した後、富岡八幡宮の責任役員会は長子さんを正式な宮司にするよう神社本庁に要望した。
しかし、神社本庁からの正式な任命は実現しなかった。
宗教情報センターの調査によると、富岡八幡宮側は2017年3月までに計4回の要望書を提出していた。氏子総代や神輿総代連合会長らも長子さんの宮司就任を求めていた。
一方、神社本庁側は富岡家の親族間の問題などを理由に、地元側の要望を認めなかったと報じられている。2015年には、研修の受講を求めるなど、宮司任命に至らない対応が続いていた。
2017年9月28日、単立宗教法人として独立富岡八幡宮は2017年5月の責任役員会で神社本庁からの離脱を決定し、同年6月に離脱を通知した。
その後、東京都に提出していた宗教法人規則の変更が9月28日に認証された。
これにより、富岡八幡宮は神社本庁の包括関係から離れ、単立宗教法人となった。
単立宗教法人とは、ほかの宗教法人に包括されず、独立して宗教法人として運営される形態を指す。
神社本庁から離脱したからといって、神社としての活動がなくなるわけではない。祭祀や参拝、地域の祭礼などは引き続き行える。
この独立によって、富岡八幡宮は自らの宗教法人の規則に基づいて運営や人事を行う体制へ移った。
そして、長子さんが正式な宮司に就任した。
神社本庁からの離脱と殺傷事件は直接つながっていたのかここは慎重に区別する必要がある。
神社本庁からの離脱と長子さんの宮司就任は、茂永さんが反発していた宮司継承問題に大きな変化をもたらした。
事件後に明らかになった文書にも、長子さんの退任や自身の息子への継承を求める内容があった。
そのため、離脱と宮司人事が事件の背景を理解するうえで重要な要素だったことは間違いない。
ただし、神社本庁が離脱を認めたこと自体を事件の直接原因と断定することはできない。離脱は宗教法人の運営上の決定であり、襲撃に至るまでには、それ以前から続いていた親族間の対立や脅迫など、複数の経緯が存在していた。
【富岡八幡宮事件の動機と不起訴】何が判明し、何が未確定なのか

事件の動機については、当時の報道や事件後に確認された文書から、宮司職の継承をめぐる強い不満が中心的な背景だったと考えられている。
ただし、事件後に容疑者が死亡しているため、裁判で動機や責任の所在を詳しく審理することはなかった。
動機として報じられた3つの要素1.宮司職を失ったことへの不満
茂永さんは1995年に宮司となったが、2001年に退任した。
その後、父の興永さんが復帰し、長子さんが後継者候補として神社運営に関わるようになった。
宮司という立場をめぐる過去の経緯が、茂永さんの長年の不満につながっていたと報じられている。
2.息子への宮司職継承要求
事件後に明らかになった茂永さん名義の文書には、自身の息子を宮司にするよう求める内容があった。
これは、単に自分自身が宮司に復帰したいという要求だけではなく、富岡家の次世代の継承をめぐる問題も存在していたことを示している。
3.神社の運営権や財産をめぐる対立
当時の週刊誌や報道では、富岡八幡宮の収入や不動産収入、宮司退任時の金銭的な取り決めなども取り上げられた。
宗教情報センターの2017年の調査でも、神社の収入規模や宮司職への執着が事件の背景として紹介されている。
ただし、報道された収入額や金銭問題が、殺害の直接的な動機として司法判断で認定されたわけではない。
宮司職への不満、家族間の確執、後継者問題、神社運営をめぐる対立が重なっていたと捉えるのが妥当だ。
2018年9月28日、東京地検が不起訴処分事件後、警視庁は茂永さんと真里子さんについて、容疑者死亡のまま殺人や殺人未遂などの容疑で書類送検した。
そして、2018年9月28日、東京地検は2人を不起訴処分とした。
宗教情報センターが当時の報道を整理した記録によると、茂永さんについては嘱託殺人容疑も不起訴となっている。
ここで重要なのは、不起訴の意味だ。
不起訴とは、検察が被疑者を刑事裁判にかけないという判断である。
今回の事件では、茂永さんと真里子さんの両名が死亡していた。したがって、通常の刑事裁判によって証拠を調べ、被告人の有罪・無罪を判断する手続きには進んでいない。
つまり、次の3つは区別しなければならない。
- 不起訴になったこと。
- 裁判で無罪判決が出たこと。
- 事件の動機やすべての経緯が司法によって確定したこと。
今回確認できるのは、2018年9月に不起訴処分となったという事実だ。事件の全容について裁判所が判決を出したわけではない。
この点は、事件を調べる際に誤解されやすい部分でもある。
【富岡八幡宮の現在】2026年の宮司体制と神社の歩み
事件から約9年が経過した2026年、富岡八幡宮は事件当時とは異なる運営体制で活動を続けている。
現在の宮司は丸山聡一さん
事件後の神社運営を担う宮司
事件当時は権宮司だったが、2017年12月9日に宮司代務者に選出された。その後、2018年に正式な宮司に就任した。
事件後、富岡八幡宮の責任役員会は、権宮司だった丸山聡一さんを宮司代務者に選んだ。
その後、2018年に正式な宮司となり、富岡家の血縁者ではない人物が神社を代表する体制に移行した。
2026年の深川八幡祭り特設サイトでも、丸山さんは富岡八幡宮の宮司として紹介されている。また、2026年1月発行の國學院大學関係の会報掲載名簿にも、富岡八幡宮の宮司として丸山さんの名前が確認できる。
富岡八幡宮は現在も参拝できる富岡八幡宮は1627年に創建された歴史ある神社で、深川地域の信仰と文化を支えてきた。
江戸勧進相撲の発祥地としても知られ、境内には相撲に関する石碑などがある。
また、日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭と並ぶ江戸三大祭りの一つ、深川八幡祭りでも知られている。
江東区の公式観光案内では、現在も参拝できる神社として紹介されており、境内は24時間参拝可能。御祈祷や神札授与などの社務は9時から17時と案内されている。
2027年には御鎮座400年を迎える2026年の深川八幡祭り特設サイトでは、富岡八幡宮が2027年に御鎮座400年を迎えることが紹介されている。
2026年の例大祭は8月12日から16日までの行事日程が掲載され、8月16日には神輿連合渡御も予定されていた。
特設サイトでは、丸山宮司が祭礼の継続と地域とのつながりについて紹介されており、神社が歴史的な節目に向けて祭礼や施設整備を進めている様子がうかがえる。
事件の記憶と神社の歴史は、切り離して考える必要がある。
富岡八幡宮は、富岡家の親族間の問題だけで成り立っていた場所ではない。氏子、神職、地域住民、祭礼を支えてきた人々が関わる地域の宗教施設でもある。
事件後に宮司体制が変わったことは、神社の運営が特定の一族による継承から、新しい体制へ移ったことを示す大きな転換点だった。
【富岡八幡宮事件】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:富岡八幡宮事件で亡くなった3人は誰ですか?
A1:富岡八幡宮の宮司だった富岡長子さん、弟の富岡茂永さん、茂永さんの妻である富岡真里子さんです。長子さんの男性運転手も重傷を負いました。
Q2:富岡八幡宮事件の動機は何だったのですか?
A2:宮司職の継承をめぐる長年の姉弟間の対立が主要な背景とされています。茂永さんは事件前後の文書で長子さんの退任や自身の息子への宮司職継承を要求していました。ただし、裁判による最終的な動機の認定はありません。
Q3:富岡八幡宮は現在も神社本庁に所属していますか?
A3:いいえ。2017年9月28日に神社本庁から正式に離脱し、単立宗教法人となっています。事件後は丸山聡一さんが宮司に就任し、2026年も宮司として活動しています。
富岡八幡宮事件は、2017年12月7日に発生した、宮司の富岡長子さんら3人が死亡した重大な殺傷事件だった。
背景には、弟の富岡茂永さんが2001年に宮司を退任して以降、長年にわたって続いた姉弟間の確執があった。
加えて、2010年の父・興永さんの退任、長子さんの宮司代務者就任、神社本庁との人事上の対立、2017年9月の単立宗教法人への移行など、神社の運営体制そのものが変化していた。
2018年9月には東京地検が茂永さんと真里子さんを不起訴としたが、裁判による動機の最終認定は行われていない。
【プロの結論】事件を理解するための3つの判断基準第一に、家族間の対立と宗教法人の運営問題を混同しないこと。
富岡家の姉弟間の争いは、神社の代表者や後継者を誰にするかという制度上の問題と重なっていた。家族の問題だけでなく、宗教法人の人事や意思決定の構造にも目を向ける必要がある。
第二に、報道された動機と司法上の確定事実を区別すること。
事件後の文書や当時の報道は、茂永さんの不満や要求を理解する重要な資料だ。しかし、本人の主張がすべて客観的事実として認定されたわけではない。不起訴と無罪判決も同じではない。
第三に、事件後の神社の歩みも確認すること。
2026年現在、富岡八幡宮は丸山聡一宮司の体制で活動を続け、2027年の御鎮座400年という歴史的な節目を迎えようとしている。
富岡八幡宮事件は、著名な神社で起きた悲劇というだけではない。伝統的な継承制度、宗教法人の自治、親族間の対立、組織の意思決定が複雑に絡み合った事件だった。
事件の背景を正しく理解するには、衝撃的な出来事だけを追うのではなく、その前後にあった制度や人事の変化、そして事件後の神社の歩みまで見ることが欠かせない。