東京都江東区の富岡八幡宮で2017年12月7日に発生した「富岡八幡宮殺人事件」。宮司だった富岡長子さんが実弟の富岡茂永によって殺害され、茂永とその妻・富岡真里子も死亡、神社専属の男性運転手が重傷を負った衝撃的な事件です。
事件の背景には、富岡家の親族間トラブルだけでなく、長年続いた宮司継承問題、神社本庁との対立、約2800通に及ぶ中傷文書の送付など、複数の問題が絡み合っていました。事件後には警視庁の捜査が進み、2018年9月には東京地検が関係者を不起訴としています。
2026年現在、この事件を理解するうえで重要なのは、単なる姉弟間の確執として片付けず、神社の運営と宮司の任命制度、親族間の対立がどのように重なったのかを整理することです。
【事件の全体像】富岡八幡宮殺人事件は2017年12月7日に何が起きたのか

富岡八幡宮殺人事件は、2017年12月7日午後8時半ごろ、東京都江東区富岡にある富岡八幡宮の境内周辺で発生しました。
当時の宮司だった富岡長子さん(58)が帰宅した際、弟の富岡茂永(56)らに襲撃されました。
一緒にいた男性運転手も茂永の妻・真里子(49)に刃物で切りつけられ、重傷を負っています。
その後、茂永は境内で真里子を殺害し、自らも死亡しました。
この事件では、長子さん、茂永、真里子の3人が死亡し、男性運転手1人が重傷を負いました。
共同通信のニュース用語解説でも、事件の発生日時、被害状況、加害関係者の死亡、宮司の地位をめぐるトラブルが整理されています。
事件の関係者と被害状況事件に関係した人物は、次のとおりです。
- 富岡長子さん: 当時の富岡八幡宮宮司。茂永の実姉で、事件の被害者。
- 富岡茂永: 長子さんの弟で、元宮司。事件後に死亡。
- 富岡真里子: 茂永の妻。運転手への襲撃に関与し、その後死亡。
- 男性運転手: 長子さんと一緒にいた神社専属の運転手。襲撃によって重傷を負った。
事件が発生したのは、江戸時代から続く歴史を持ち、深川八幡祭りでも知られる神社の周辺でした。
地域の信仰や祭礼を支えてきた場所で、神社の代表者をめぐる親族間の対立が重大事件に発展したことは、地域社会にも大きな衝撃を与えました。
重要なのは、この事件が突発的な口論によるものとして報じられたわけではない点です。事件前から警察への相談や脅迫をめぐる問題があり、姉弟間の対立は長期間続いていました。
【富岡家の親族間トラブル】富岡長子・富岡茂永の関係と宮司継承問題
事件の背景を理解するには、富岡家が長年担ってきた宮司職の継承について知る必要があります。
富岡八幡宮では、富岡家が代々宮司を務めてきました。宮司は神社の祭祀を司るだけでなく、宗教法人としての神社を代表する立場でもあります。
そのため、後継者を誰にするかは、単純な家族内の役割分担ではありません。神社の運営や組織の意思決定にも関わる問題でした。
富岡茂永が宮司を退任するまで報道によると、富岡茂永は1995年3月、父・富岡興永氏の後を継いで宮司に就任しました。
しかし、2001年5月に退任しています。その後、父の興永氏が再び宮司に復帰しました。
茂永の退任後、姉の長子さんと茂永の間では、宮司職をめぐる対立が続きました。
2002年1月には、長子さんが弟とのトラブルについて警視庁深川署に相談していたことが報じられています。
さらに2006年1月、茂永は長子さんに脅迫する内容のはがきを送ったとして、脅迫容疑で逮捕されました。
当時の報道では、はがきに「地獄へ送る」などの表現が記されていたと伝えられています。
つまり、2017年の事件は、少なくとも10年以上前から表面化していた対立の延長線上にありました。
富岡家の主要人物と事件との関係事件をめぐる人物関係を整理すると、次のようになります。
| 人物 | 富岡家との関係・立場 | 事件との関係 |
|---|---|---|
| 富岡長子 | 富岡興永氏の長女、茂永の姉 | 事件当時の宮司。襲撃され死亡 |
| 富岡茂永 | 富岡興永氏の長男、長子の弟 | 元宮司。事件後に死亡 |
| 富岡真里子 | 茂永の妻 | 運転手への襲撃に関与し、その後死亡 |
| 富岡興永 | 長子・茂永の父、元宮司 | 宮司職の継承に関わった人物 |
| 丸山聡一 | 事件当時の権宮司 | 事件後に宮司代務者となり、後に宮司へ就任 |
この関係から分かるのは、事件の中心にあったのが、姉弟の個人的な関係だけではなかったということです。
富岡家の後継者問題と、神社という宗教法人の代表者を誰にするかという組織上の問題が重なっていました。
【宮司継承問題の時系列】長子さんの就任までに何があったのか
宮司継承問題は、2017年12月の事件直前に突然発生したものではありません。
父の退任、弟の宮司退任、姉の代務者就任、神社本庁との協議など、複数の段階を経ています。
重要な出来事を年代順に整理- 1995年3月: 富岡茂永が父・興永氏の後を継いで宮司に就任。
- 2001年5月: 茂永が宮司を退任。父の興永氏が再び宮司となる。
- 2002年1月: 長子さんが弟との親族間トラブルについて警察に相談。
- 2006年1月: 茂永が長子さんへの脅迫容疑で逮捕されたと報道される。
- 2010年: 父の興永氏が宮司を退任。
- 2012年: 長子さんが宮司代務者を務めるようになる。
- 2017年5月29日: 富岡八幡宮の責任役員会が神社本庁からの離脱を決議。
- 2017年9月28日: 東京都による規則変更の認証を経て、神社本庁から離脱。
- 2017年12月7日: 富岡八幡宮殺傷事件が発生。
- 2018年6月28日: 丸山聡一氏が宮司に就任。
- 2018年9月28日: 東京地検が茂永と真里子を不起訴処分とする。
この経緯は、宗教情報リサーチセンターの資料や事件当時の日刊スポーツなどの報道から確認できます。
特に重要なのが、2010年以降の宮司人事です。
長子さんは宮司代務者として神社運営に携わっていましたが、正式な宮司への就任は神社本庁との調整によって難航していました。
神社側は長子さんの宮司就任を求め、責任役員会から複数回にわたって要望書を提出しています。
一方、神社本庁側は富岡家の親族間の問題や裁判が係争中であることなどを理由に、任命を認めませんでした。
この対立が、神社本庁からの離脱という大きな決断につながります。
【神社本庁からの離脱】なぜ富岡八幡宮は単立宗教法人になったのか
富岡八幡宮殺人事件をめぐる重要な背景の一つが、2017年9月28日の神社本庁からの離脱です。
神社本庁は、全国の神社を包括する宗教法人です。神社本庁に所属する神社は、一定の組織的な関係のもとで運営され、宮司の任命にも本庁の制度が関係します。
富岡八幡宮では、長子さんの宮司就任をめぐって神社本庁との調整が長く続いていました。
長子さんの宮司就任を求めた神社側宗教情報リサーチセンターの資料によると、富岡八幡宮の責任役員会は、長子さんの宮司就任を求める要望書を計4回提出していました。
氏子総代や神輿総代連合会長らも、長子さんが神社と地域に貢献してきたことを理由に、宮司への就任を求めていました。
しかし、神社本庁側は富岡家の親族間の対立などを理由に、地元の要望を受け入れませんでした。
この状況に対し、富岡八幡宮側は2017年5月29日の責任役員会で離脱を決定します。
その後、東京都への規則変更申請などの手続きを経て、9月28日に認証されました。
単立宗教法人とは何か単立宗教法人とは、神社本庁などの包括宗教法人に包括されず、独立した宗教法人として運営される形態です。
富岡八幡宮の場合、神社本庁との包括関係を解消することで、宮司人事や組織運営について独自の判断を行える体制へ移行しました。
ここで注意したいのは、神社本庁からの離脱そのものが殺人事件を引き起こしたと断定することはできないという点です。
離脱は宮司継承をめぐる組織上の対立の結果であり、事件にはそれ以前から続いていた姉弟間の確執や脅迫問題も関係していました。
神社本庁離脱と事件の関係この問題を整理する際には、次の3つを区別する必要があります。
1. 親族間の対立: 茂永と長子さんの間で長年続いていた宮司職をめぐる確執。
2. 神社の組織問題: 長子さんの正式な宮司就任をめぐる神社本庁との対立。
3. 事件直前の状況: 神社本庁からの離脱後、長子さんが宮司となり、茂永側から中傷文書などが送られていたこと。
これらは相互に関連していますが、すべてを同じ原因として扱うことはできません。
神社本庁からの離脱は、富岡八幡宮の組織運営における大きな転換点でした。
【約2800通の中傷文書】富岡茂永の犯行動機と事件の背景
富岡八幡宮殺人事件を理解するうえで、特に注目されたのが、富岡茂永が全国の神社関係者らに送っていた大量の文書です。
共同通信のニュース用語解説によると、茂永は長子さんを中傷する文書を約2800通送付していたことが判明しています。
この数字は事件の異常な背景を示すものとして、事件直後の報道でも取り上げられました。
約2800通の文書には何が書かれていたのか報道によると、文書には長子さんに対する批判や、富岡家の親族間トラブルに関する茂永側の主張が記されていました。
加えて、事件直後に関係者や報道機関などへ届いた茂永名義の文書には、長子さんを神社から追放することや、自分の息子を宮司にすることを求める内容が含まれていました。
デイリースポーツが2017年12月に報じた文書は、A4判8枚にわたるもので、富岡家の内紛について自分の主張を記していました。
ただし、こうした文書は茂永側の一方的な主張です。そこに書かれた長子さんへの非難や私生活に関する記述を、客観的に確認された事実として扱うことはできません。
事件直前に見つかった真里子名義の封書事件の捜査では、真里子名義で警察と報道関係者に宛てた封書が見つかったことも報じられています。
日刊スポーツの2017年12月13日の報道によると、封書は12月1日付でした。
その中には、長子さんに対する恨みや殺害後に自害する意思が記されていたとされています。
報道された文面には、次の記述がありました。
「積年の恨みから殺害することにした」
これは事件直前の計画性や、当事者が抱いていた感情を考えるうえで重要な資料です。
一方、この封書の存在だけで、事件に至るすべての事情や心理的背景が解明されたわけではありません。
犯行動機は宮司職への執着だけだったのか事件の背景として報道で繰り返し指摘されたのは、宮司職をめぐる長子さんと茂永の確執です。
茂永は1995年に宮司となったものの、2001年に退任しました。
その後、姉の長子さんが宮司代務者となり、神社本庁から離脱した後に正式な宮司へ就任しました。
また、事件直後に送られた文書には、長子さんの追放や自身の息子への宮司継承を求める主張がありました。
これらの経緯から、宮司の地位をめぐる不満が犯行の背景にあったと報じられています。
ただし、事件では茂永自身が死亡し、法廷で動機や各主張の真偽が検証される機会はありませんでした。
したがって、宮司職の問題は重要な背景ですが、それだけで事件のすべてを説明できるわけではありません。
事件前から続いていた警察への相談と脅迫問題この事件で見落とせないのは、2017年より前から警察が姉弟間の問題を把握していたことです。
- 2002年1月:長子さんが親族間のトラブルについて警察に相談。
- 2006年1月:茂永が長子さんへの脅迫容疑で逮捕されたと報道。
- 2017年:長子さんに対する中傷の電話などがあり、神社側が内容証明で警告。
2017年7月10日付の警告書については、神社の代理人弁護士が事件後の会見で説明しています。
日刊スポーツによると、富岡家は茂永の退任後も経済的支援を行っていたものの、中傷の電話などの迷惑行為が続く場合には支援を打ち切るという内容だったとされています。
このように、事件の前には長期間にわたる対立と、具体的な警察相談・警告の経緯がありました。
【警視庁の捜査と東京地検の不起訴処分】事件の刑事手続きはどう終わったのか
事件後、警視庁は現場の状況や関係者の証言、事件に関連する文書などを調べました。
捜査では、茂永と真里子が関与した一連の殺傷行為について、殺人や殺人未遂などの容疑が検討されました。
しかし、事件後に茂永と真里子がともに死亡していたため、通常の刑事裁判に進むことはありませんでした。
警視庁による捜査と書類送検警視庁は、死亡した茂永と真里子について、容疑者死亡のまま書類送検しました。
この手続きは、被疑者が死亡した場合でも、事件の捜査結果を検察に送るものです。
捜査対象となったのは、長子さんへの殺人、運転手への殺人未遂などの事件に関する容疑でした。
また、茂永による真里子への行為についても、嘱託殺人の容疑が検討されました。
2018年9月28日、東京地検が不起訴処分2018年9月28日、東京地検は茂永と真里子を不起訴処分としました。
宗教情報リサーチセンターの記録によると、両名は事件後に死亡しており、容疑者死亡のまま書類送検されていました。
茂永に対する嘱託殺人容疑についても不起訴となっています。
不起訴は無罪判決と同じなのかここは、事件を調べる読者が誤解しやすい部分です。
不起訴と無罪判決は、法律上まったく異なるものです。
検察庁の公式説明では、被疑者が死亡した場合は、訴訟条件を欠くため不起訴となる場合に該当します。
本件でも、茂永と真里子が死亡していたため、刑事裁判で有罪・無罪を判断する段階には進みませんでした。
つまり、2018年の不起訴処分は、裁判所が両名の行為について無罪を言い渡したという意味ではありません。
また、裁判による証拠調べや動機の詳細な審理も行われていません。
そのため、事件の背景については、警視庁の捜査や事件当時の報道、残された文書などから分かる範囲と、法廷で確定した事実とを区別する必要があります。
【事件後の富岡八幡宮】宮司は誰になった?2026年現在の状況
事件後、富岡八幡宮は神社の運営を継続するため、宮司の代行体制を整えました。
事件当時の権宮司だった丸山聡一氏が宮司代務者となり、神社の祭祀や運営を引き継ぎました。
富岡長子さんの神社葬と新体制への移行2018年1月24日、富岡長子さんの神社葬が富岡八幡宮近くの富岡斎場で営まれました。
日刊スポーツによると、当日は神職や氏子ら約300人が参列しました。
事件後の神社では、権宮司だった丸山聡一氏が宮司代務者として宗教法人の代表も務めました。
その後、丸山氏は2018年6月28日に宮司へ就任しています。
これにより、事件以前まで続いていた富岡家による宮司継承から、別の人物による運営体制へ移行しました。
2026年現在の宮司と宗教法人としての位置付け2026年1月1日付の國學院大學院友会報に掲載された神社名簿では、富岡八幡宮の宮司として丸山聡一氏の名前が記載されています。
また、東京都が公表した令和6年12月31日現在の宗教法人名簿でも、富岡八幡宮は「単立・神道系」に分類されています。
同名簿には、代表役員として丸山聡一氏の名前が掲載されています。
したがって、2026年時点で確認できる組織上の状況は、次のとおりです。
- 宮司:丸山聡一氏
- 宗教法人の形態:単立・神道系
- 代表役員:丸山聡一氏
- 神社本庁との関係:包括関係から離脱した独立した宗教法人
事件後も富岡八幡宮は、地域の信仰や祭礼を担う神社として運営されています。
事件の衝撃は大きかったものの、富岡八幡宮の歴史は事件だけで語り尽くせるものではありません。
江戸勧進相撲の発祥地としての歴史や、深川八幡祭りなど、地域文化との関係も引き続き受け継がれています。
事件後の富岡八幡宮を理解する3つの視点1. 宮司継承の変化: 富岡家による継承から、丸山聡一氏を中心とする体制へ移行した。
2. 組織運営の独立: 神社本庁から離脱した単立宗教法人として運営されている。
3. 地域との関係: 事件後も神社としての祭祀や地域文化を担い続けている。
【富岡八幡宮殺人事件】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:富岡八幡宮殺人事件はいつ発生しましたか?
A1:2017年12月7日午後8時半ごろ、東京都江東区の富岡八幡宮周辺で発生しました。富岡長子さん、弟の富岡茂永、その妻の真里子の3人が死亡し、男性運転手1人が重傷を負いました。
Q2:富岡長子さんを殺害したのは誰ですか?
A2:事件では、弟の富岡茂永が長子さんを襲撃したと報じられています。茂永は事件後に妻の真里子を殺害し、自らも死亡しました。
Q3:富岡茂永の犯行動機は何だったのでしょうか?
A3:主な背景として報じられたのは、宮司職をめぐる姉弟間の長年の確執です。長子さんの宮司就任や神社本庁からの離脱、富岡家の親族間トラブルなどが関連していたとみられています。ただし、裁判による動機の最終的な解明は行われていません。
Q4:約2800通の中傷文書とは何ですか?
A4:茂永が全国の神社関係者らに送付していた、長子さんを中傷する文書です。事件直後に送られた文書には、長子さんの神社からの追放や、自身の息子への宮司継承を求める内容も記されていました。
Q5:富岡八幡宮が神社本庁を離脱した理由は何ですか?
A5:長子さんの宮司就任をめぐり、神社側と神社本庁の間で意見の対立が続いていたためです。神社側が複数回にわたり宮司就任を求めたものの認められず、2017年5月に離脱を決議し、同年9月28日に認証されました。
Q6:富岡茂永と富岡真里子は逮捕・起訴されたのですか?
A6:両名は事件後に死亡したため、容疑者死亡のまま書類送検されました。東京地検は2018年9月28日に不起訴処分としています。通常の刑事裁判は開かれていません。
Q7:2026年現在、富岡八幡宮の宮司は誰ですか?
A7:丸山聡一氏です。事件後に宮司代務者となり、2018年6月28日に宮司へ就任しました。2026年1月付の神社名簿でも宮司として掲載されています。
富岡八幡宮殺人事件は、2017年12月7日に発生した宮司・富岡長子さんらの殺傷事件です。
事件の背景には、弟の富岡茂永との長年の確執、宮司継承問題、神社本庁からの離脱、約2800通の中傷文書など、複数の問題が存在していました。
事件後、警視庁は関係者を容疑者死亡のまま書類送検しましたが、2018年9月28日に東京地検が不起訴処分としています。
その後、富岡八幡宮では丸山聡一氏が宮司に就任し、単立宗教法人として運営を続けています。
【プロの結論】この事件から読み取るべき3つのポイント1. 親族間の対立と組織の意思決定は切り離して考える必要がある
宮司の継承は、家族の問題であると同時に、宗教法人の代表者を決める組織運営上の問題でもありました。富岡家の対立と神社本庁との対立が重なったことが、事件の背景を複雑にしています。
2. 神社本庁からの離脱と殺人事件を単純な因果関係で結び付けてはいけない
離脱は宮司人事をめぐる組織上の決断でした。一方、事件にはそれ以前から続く脅迫問題や親族間の確執もありました。2017年9月の離脱だけを犯行原因とする説明では、長い経緯を正確に捉えられません。
3. 不起訴処分は事件の真相が裁判で確定したことを意味しない
両容疑者の死亡によって刑事裁判が開かれなかったため、動機や文書の主張などについて、法廷で最終的な判断が示されたわけではありません。
富岡八幡宮殺人事件は、個人間の確執が神社の継承・組織運営の問題と交差した重大事件でした。
2026年現在、富岡八幡宮は新たな宮司のもとで運営されています。事件を正しく理解するためには、刺激的な家族間の争いという側面だけでなく、宮司の任命制度、宗教法人の独立性、地域社会との関係という複数の視点から振り返ることが大切です。