高田みづえとの結婚
1985年2月:婚約発表
1985年9月27日:結婚式
妻:元歌手・高田みづえ
若嶋津の人生を語るうえで欠かせないのが、元人気歌手・高田みづえとの結婚です。
二人はともに鹿児島県出身。1985年2月、当時大関だった若嶋津と、歌手として人気を集めていた高田みづえが婚約を発表しました。
当時の高田みづえは「硝子坂」「私はピアノ」などの楽曲で知られる人気歌手でした。芸能界で活躍していた彼女が、結婚を機に芸能活動から退く決断をしたことも、大きな話題になりました。
1985年9月27日の結婚式はテレビでも話題に二人は1985年9月27日、東京のホテルニューオータニで挙式しました。
当時28歳だった若嶋津と25歳だった高田みづえの結婚は、スポーツ界と芸能界を代表するビッグカップルの誕生として注目されました。
披露宴はテレビ朝日系列で生中継され、日刊ゲンダイが紹介した当時の記録では、視聴率は30.2%に達しています。
結婚後、高田みづえは芸能界を引退し、相撲部屋のおかみさんとして若嶋津を支える立場になりました。松ケ根部屋の運営や力士たちの生活を支える仕事にも携わっています。
長年連れ添った夫婦としての関係二人の結婚生活は40年以上にわたりました。
若嶋津が現役を引退した後も、高田みづえは部屋のおかみさんとして相撲界に関わり続けました。
2017年に若嶋津が頭部を負傷して療養生活に入ってからも、夫を支えてきたことが報道されています。
2026年3月の訃報後には、高田みづえが夫への感謝を語りました。スポーツニッポンの報道によると、若嶋津は亡くなる日の朝まで意識があり、周囲に「ありがとう」と伝えていたといいます。
【引退後の若嶋津】二所ノ関親方としての指導者人生と2017年の事故

若嶋津は1987年7月場所で現役を引退しました。しかし、相撲界から完全に離れたわけではありません。
引退後は親方として後進の指導にあたり、自ら相撲部屋を経営するなど、指導者として新たなキャリアを歩み始めました。
松ケ根部屋を創設、二所ノ関親方へ引退後、若嶋津は年寄「松ケ根」を襲名しました。
1990年2月には松ケ根部屋を創設。師匠として若手力士を育て、関取を輩出するなど、部屋の基盤を築いていきました。
その後、2014年には日本相撲協会の理事に就任。同年12月には年寄「二所ノ関」を襲名し、伝統ある二所ノ関の名跡を継承しました。
親方としての代表的な実績には、松鳳山、一山本、島津海らの育成があります。
現役時代に自らが経験した厳しい稽古や大関への昇進経験を、後進の育成に生かしていたことも特徴です。
2017年10月、突然の頭部負傷若嶋津の人生に大きな転機が訪れたのは、2017年10月19日でした。
日刊スポーツの当時の報道によると、千葉県船橋市内の路上で自転車の転倒により頭部を強打し、病院に搬送されました。
約4時間半に及ぶ手術を受け、集中治療室に入る事態となりました。一時は意識不明の重体と報じられ、相撲界やファンに大きな衝撃を与えました。
その後、生命の危機を脱し、回復に向けた療養とリハビリを続けました。
しかし、以前のように相撲協会の運営や部屋の指導に携わることは難しくなっていきました。
2021年から2023年にかけて相撲協会を離れる若嶋津は2021年12月に部屋の継承を行い、翌2022年1月には65歳の定年を迎えました。
定年後も参与として日本相撲協会に残りましたが、2023年7月21日付で退職しています。
ここで、若嶋津の引退後の歩みを整理しておきます。
- 1987年7月:現役引退、年寄松ケ根を襲名
- 1990年2月:松ケ根部屋を創設
- 2014年12月:年寄二所ノ関を襲名
- 2017年10月:頭部を負傷し、長期療養へ
- 2021年12月:部屋を放駒親方に継承
- 2022年1月:65歳の定年を迎える
- 2023年7月21日:日本相撲協会を退職
こうして、土俵の上で活躍した力士としての人生から、親方として弟子を育てる人生へと歩んできた若嶋津は、2023年に相撲協会を離れました。
【2026年3月15日に訃報】若嶋津の死去の理由と最期
2026年3月15日、元大関・若嶋津の日高六男さんが69歳で亡くなりました。
日本相撲協会は翌16日に訃報を発表。共同通信やスポーツニッポン、日刊スポーツなどの報道でも、その死が伝えられました。
死因は肺炎、69歳で死去報道によると、若嶋津は2026年3月15日午前11時34分、千葉県鎌ケ谷市内の病院で亡くなりました。
死因は肺炎。享年69歳でした。
スポーツニッポンの報道では、高田みづえによると、2025年夏ごろから体調を崩し、千葉県内の病院に入院していたとされています。
亡くなる当日の朝まで意識があり、周囲に感謝の言葉を伝えていたものの、その後容体が急変したと報じられています。
2017年の頭部負傷が死因だったのか?ここは、検索する人が特に誤解しやすいポイントです。
若嶋津は2017年に頭部を負傷し、手術を受けた後、長期間にわたる療養生活を送りました。
一方、2026年3月の訃報で報じられた直接の死因は肺炎です。
したがって、次の2つは区別する必要があります。
| 出来事 | 確認されている内容 |
|---|---|
| 2017年10月 | 自転車の転倒による頭部負傷、手術 |
| 2017年以降 | 回復に向けた療養とリハビリ |
| 2025年夏ごろ | 体調を崩して入院 |
| 2026年3月15日 | 肺炎のため69歳で死去 |
2017年の事故と2026年の死去を直接結び付ける医学的な因果関係は、報道された死因だけからは判断できません。
死去の理由として公表・報道されたのは肺炎であり、頭部負傷そのものが死因だったわけではありません。
高田みづえが語った夫への感謝若嶋津の死去に際して、妻の高田みづえは夫への感謝を伝えました。
スポーツニッポンの報道では、亡くなる朝まで意識があったことや、周囲に「ありがとう」と話していたことが紹介されています。
また、3月24日に千葉県市川市内で営まれた葬儀には、日本相撲協会の八角理事長ら約300人が参列しました。
現役時代のファンだけでなく、親方として育てた力士や相撲関係者にとっても、その死は大きな別れとなりました。
【よくある質問】南海の黒豹・若嶋津に関するFAQ
Q1:南海の黒豹と呼ばれた力士は誰ですか?
A1:主に知られているのは、元大関・若嶋津六夫です。本名は日高六男で、鹿児島県中種子町出身。浅黒い肌と精悍な顔立ち、俊敏な相撲から「南海の黒豹」と呼ばれました。
Q2:南海の黒豹の初代は琴ヶ濱ですか?
A2:相撲史を紹介する資料では、琴ヶ濱貞雄が初代、若嶋津が二代目と紹介されています。琴ヶ濱は内掛けを得意とした大関で、若嶋津とは活躍した時代も相撲の特徴も異なります。
Q3:若嶋津の通算成績と幕内優勝回数は?
A3:日本相撲協会の公式記録では、通算515勝330敗21休、75場所。幕内優勝は2回で、1984年春場所と同年名古屋場所に達成しました。
Q4:若嶋津の妻は誰ですか?
A4:妻は元人気歌手の高田みづえです。1985年2月に婚約を発表し、同年9月27日に結婚しました。高田みづえは結婚を機に芸能界を引退し、相撲部屋のおかみさんとして夫を支えました。
Q5:若嶋津は2026年に亡くなったのですか?
A5:はい。2026年3月15日、肺炎のため千葉県内の病院で69歳で亡くなりました。日本相撲協会は翌16日に訃報を発表しています。
Q6:若嶋津はなぜ2017年に療養生活に入ったのですか?
A6:2017年10月、千葉県船橋市内で自転車の転倒によって頭部を負傷し、手術を受けたためです。その後、長期にわたって療養とリハビリを続けました。
「南海の黒豹」という異名で知られた若嶋津六夫は、昭和の大相撲を彩った名大関でした。
その歩みを振り返ると、単に優勝2回を記録した力士というだけではないことが分かります。
- 鹿児島県出身の力士として1975年に初土俵。
- 1983年に大関へ昇進。
- 1984年に幕内優勝2回、うち1回は全勝優勝。
- 通算515勝330敗21休という戦歴を記録。
- 高田みづえと結婚し、引退後は松ケ根部屋を創設。
- 二所ノ関親方として後進の育成に尽力。
- 2026年3月15日、肺炎のため69歳で死去。
特に注目したいのは、若嶋津が残した功績を現役時代だけで評価するのは不十分だという点です。
大関としての競技実績に加え、部屋を興し、後進を育て、相撲界の運営にも関わりました。土俵の上で勝つ力と、次の世代へ相撲をつなぐ力。その両方を持っていたことが、若嶋津という人物の大きな特徴です。
また、「南海の黒豹」という異名には琴ヶ濱という先行する名大関の存在もありました。同じ愛称を持つ二人を比較することで、昭和の大相撲における力士の個性や時代ごとの相撲の魅力も見えてきます。
若嶋津は2026年にこの世を去りましたが、幕内優勝2回の記録と、南海の黒豹として親しまれた姿は、昭和の大相撲を象徴する記憶として残り続けます。