2026年11月現在、元第73代横綱・照ノ富士春雄は現役を引退し、伊勢ヶ濱春雄親方として伊勢ヶ濱部屋の師匠を務めている。2025年1月17日に現役引退が正式に承認され、その後、2025年6月には伊勢ヶ濱部屋を継承。さらに2026年1月31日には、両国国技館で引退相撲と断髪式が開催された。現役力士としての土俵人生に区切りをつけ、後進を育てる立場へと歩みを進めている。
照ノ富士といえば、幕内優勝10回を誇る実力者でありながら、両膝の重傷や糖尿病などに苦しみ、大関から序二段まで転落した後、再び大関、そして横綱へと昇り詰めた異例の経歴でも知られる。なぜ引退を決断したのか、伊勢ヶ濱親方への襲名や部屋継承はどのように進んだのか。日本相撲協会の公式プロフィールや引退会見、2026年の引退相撲の記録をもとに、その全貌を整理する。
【2026年最新】照ノ富士春雄の現在は?伊勢ヶ濱親方として部屋を率いる

2026年現在の照ノ富士は、現役時代の四股名を離れ、年寄名跡「伊勢ヶ濱」を襲名した親方として活動している。
日本相撲協会の年寄プロフィールでも、現在の登録名は伊勢ヶ濱春雄(いせがはま・はるお)。所属部屋は伊勢ヶ濱部屋で、師匠として登録されている。
現在のプロフィール| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 現在の名前 | 伊勢ヶ濱春雄 |
| 現役時代の四股名 | 照ノ富士春雄 |
| 生年月日 | 1991年11月29日 |
| 2026年11月現在の年齢 | 34歳 |
| 出身地 | モンゴル・ウランバートル |
| 最高位 | 第73代横綱 |
| 引退場所 | 2025年1月場所 |
| 現在の所属 | 伊勢ヶ濱部屋 |
| 現在の立場 | 伊勢ヶ濱部屋師匠 |
日本相撲協会の公式プロフィールには、年寄名の履歴として「照ノ富士春雄→伊勢ヶ濱春雄」と記載されている。つまり、2026年現在は単に引退した元横綱というだけでなく、相撲部屋を預かる責任者になっている。
2026年の活動は現役力士の育成が中心照ノ富士が親方として担う大きな役割は、伊勢ヶ濱部屋の力士を育成し、相撲界の次世代を支えることだ。
現役時代には、幕内上位から大関、横綱へと昇進した経験だけでなく、序二段まで番付を落としてから復活した経験も持つ。
この経歴は、順調に番付を上げる力士だけでは得られない指導上の財産になる。
特に、怪我や長期休場によって思うように稽古や取組ができなくなった力士に対して、どのように再起を目指すかという問題は、自身の経験と深く結びついている。
ただし、現役時代の実績がそのまま指導者としての成果を保証するわけではない。部屋の運営、力士の健康管理、稽古環境の整備、若手の精神面の成長など、師匠として求められる仕事は幅広い。
2026年は、照ノ富士が横綱として残した実績を、次の世代の育成へつなげていく段階にある。
【引退理由を検証】照ノ富士はなぜ2025年初場所で現役を退いたのか
照ノ富士が引退した直接的な理由は、長年の怪我によって本場所で自分の思い描く相撲が取れなくなったことだ。
日本相撲協会は2025年1月17日、理事会で照ノ富士の現役引退と年寄「照ノ富士」の承認を発表した。
引退を決めたのは、2025年1月場所の途中だった。
引退直前の初場所で何が起きていたのか2025年1月場所は、照ノ富士にとって2場所連続の全休から復帰する場所だった。
しかし、復帰後の取組は厳しいものとなった。
- 初日:小結・若隆景に敗れる。
- 4日目:翔猿に敗れ、2勝2敗となる。
- 5日目:右膝と腰の痛みから休場。
- 6日目:1月17日、日本相撲協会が引退を正式承認。
特に深刻だったのは、以前から抱えていた膝の問題に加え、膝をかばう動きによって腰にも負担がかかったことだ。
横綱は、単に勝ち越せばよいという立場ではない。常に優勝争いに加わり、横綱として期待される相撲を見せることが求められる。
照ノ富士にとって、思いどおりに体を動かせない状態で土俵に立ち続けることは、自分が考える横綱の責任を果たせないことでもあった。
引退会見で語った決断の理由2025年1月17日、照ノ富士は両国国技館で引退会見を開いた。
その場で、長い相撲人生を振り返りながら、引退の理由を次のように説明している。
「これ以上この中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきじゃないなと思い、引退することに決めました」
また、初日に敗れた後、師匠だった伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)に引退の可能性を伝えていたことも明かした。
つまり、5日目の休場だけが突然の引退理由だったわけではない。初日の敗戦をきっかけに、自分の体と向き合い、現役を続けるべきかどうかを真剣に考えていたのである。
怪我と病気に苦しんだ現役時代照ノ富士の引退を理解するうえで欠かせないのが、2017年以降の長い故障との闘いだ。
両膝の負傷に加え、糖尿病や内臓疾患なども重なり、かつて大関だった力士が幕下、さらに序二段まで転落した。
2025年の引退は、単なる成績不振によるものではない。
長年にわたって体を酷使し、何度も復活を遂げた力士が、横綱としての責任と自身の身体的限界を考えたうえで下した決断だった。
【波乱の相撲人生】若三勝時代から第73代横綱までの経歴・年表
照ノ富士春雄の相撲人生を特徴づけるのは、順調な出世と大きな転落、そしてそこからの復活という3つの局面だ。
1991年11月29日、モンゴルのウランバートルに生まれた照ノ富士は、日本に渡って大相撲の世界へ進んだ。
若三勝として初土俵を踏む入門当初の四股名は「若三勝」。
日本相撲協会の公式記録では、2011年5月の技量審査場所が初土俵となっている。
その後、間垣部屋から伊勢ヶ濱部屋へ移り、2013年に四股名を照ノ富士へ変更した。
新十両は2013年9月場所、新入幕は2014年3月場所。短期間で番付を上げ、2015年には三役に定着する。
23歳で大関昇進、初優勝も経験2015年5月場所、照ノ富士は関脇として幕内初優勝を達成した。
続く2015年7月場所には大関へ昇進。23歳という若さで、相撲界のトップクラスに到達した。
しかし、その後は膝の負傷や病気の影響で成績が低迷する。
2017年には大関から陥落し、2018年には幕下まで番付を下げた。2019年春場所では西序二段48枚目まで転落している。
かつて幕内優勝を経験した大関が、序二段から再出発するという異例の展開だった。
大関から序二段、そして横綱への復活年表日本相撲協会の公式プロフィール、公式発表、当時の報道をもとに整理。
この年表で特に注目したいのは、2020年から2021年にかけての復活だ。
2019年に序二段まで落ちた照ノ富士は、2020年7月場所で幕内へ戻ると、13勝2敗で優勝を果たした。
さらに2021年3月に大関へ復帰し、同年9月には横綱に昇進している。
日本相撲協会の公式記録でも、序二段まで降格した後に横綱へ昇進した異例の経歴が確認できる。
2020年7月場所の優勝が復活の象徴に2020年7月場所での優勝は、照ノ富士のキャリアを語るうえで欠かせない。
番付は前頭17枚目。幕内の最下位に近い位置から、13勝2敗という成績で優勝した。
これは単に幕内へ戻ったというだけではない。
大関経験者が序二段まで落ち、そこから幕内へ復帰して優勝するという、極めて異例の道のりだった。
その後、2021年3月場所で大関に復帰。2021年5月、7月と連続して幕内優勝を果たし、同年9月に第73代横綱となった。
照ノ富士の復活劇は、相撲の番付制度の厳しさと、そこから再び頂点へ戻る難しさを象徴するものだった。
【幕内優勝10回】照ノ富士の生涯戦歴と横綱としての実績
照ノ富士の現役時代の実績は、幕内優勝10回という数字だけでは語り尽くせない。
長期休場を経験しながら、何度も番付を戻し、横綱として優勝争いを続けた点に大きな特徴がある。
日本相撲協会が公表する生涯成績2025年1月場所で引退した照ノ富士の最終成績は、次のとおりだ。
| 項目 | 最終成績 |
|---|---|
| 生涯戦歴 | 523勝275敗231休 |
| 出場場所数 | 82場所 |
| 幕内戦歴 | 366勝207敗197休 |
| 幕内在位 | 52場所 |
| 幕内優勝 | 10回 |
| 十両優勝 | 2回 |
| 幕下優勝 | 1回 |
| 殊勲賞 | 3回 |
| 敢闘賞 | 3回 |
| 技能賞 | 3回 |
| 横綱在位 | 2021年9月~2025年1月 |
これらは日本相撲協会の力士プロフィールに掲載されている公式記録だ。
幕内優勝10回の価値幕内優勝10回は、照ノ富士が長期間にわたってトップレベルで戦い続けた証拠である。
特に評価したいのは、優勝回数の多さだけでなく、優勝を達成した時期の違いだ。
2015年の初優勝は大関昇進前の勢いを象徴するものだった。
2020年7月の優勝は、序二段からの復活を証明したものだった。
そして2021年の連続優勝は、横綱昇進を決定づける重要な実績となった。
同じ10回の優勝でも、それぞれの背景には異なる意味がある。
照ノ富士の得意技と相撲スタイル日本相撲協会のプロフィールでは、得意技は「右四つ・寄り」とされている。
右四つに組み、相手の体勢を崩しながら前へ出る相撲が基本だ。
現役時代の照ノ富士は、192センチの長身と大きな体格を生かした力強い取り口で知られた。
特に、組んでから相手を圧迫する相撲は大きな武器だった。
一方で、膝に負担を抱えるようになってからは、身体の状態と相撲の取り方を両立させることが大きな課題となった。
その意味で、照ノ富士の10回の優勝は、単純な身体能力だけでなく、長期的な競技生活の中で自分の相撲を取り戻してきた結果でもある。
【伊勢ヶ濱部屋の継承】照ノ富士はいつ親方になり、なぜ部屋を引き継いだのか
照ノ富士の引退後の大きな転機が、伊勢ヶ濱部屋の継承だった。
現役引退後、すぐに部屋の師匠になったわけではない。
まずは年寄「照ノ富士」として部屋付き親方になり、その後、正式な部屋継承を経て現在の伊勢ヶ濱親方となった。
2025年1月17日に年寄「照ノ富士」を承認日本相撲協会は2025年1月17日、照ノ富士の引退と年寄「照ノ富士」の襲名を承認した。
これによって、現役力士としての活動は終了したものの、日本相撲協会に親方として残り、後進の指導に携わることになった。
2025年6月に伊勢ヶ濱部屋の継承が決定2025年6月2日、日本相撲協会は臨時理事会で、照ノ富士親方による伊勢ヶ濱部屋の継承を承認した。
それまで師匠を務めていたのは、元横綱・旭富士の伊勢ヶ濱親方だった。
旧師匠は2025年7月に定年を迎える予定であり、その後を照ノ富士が引き継ぐ形となった。
そして2025年6月9日、照ノ富士親方は年寄「伊勢ヶ濱」を襲名。部屋継承に関する会見も行われた。
同日、旧師匠の元横綱・旭富士は年寄「宮城野」を襲名している。
伊勢ヶ濱親方と照ノ富士親方は同じ人物インターネット上では「伊勢ヶ濱親方」と「照ノ富士親方」が別人のように扱われることがある。
しかし、これは襲名によって呼び名が変わったためだ。
- 現役時代:照ノ富士春雄
- 引退直後:年寄・照ノ富士
- 2025年6月9日以降:年寄・伊勢ヶ濱春雄
一方、元横綱旭富士は伊勢ヶ濱の名跡を離れ、宮城野を襲名している。
この区別を理解しておくと、過去の報道と2026年現在の相撲協会の情報を混同せずに済む。
部屋継承で変わった照ノ富士の役割部屋を継承したことで、照ノ富士は自分自身の成績だけを追求する立場から、所属力士全体の成長に責任を持つ立場へ変わった。
現役時代は、自分の身体を鍛え、取組で勝つことが最大の仕事だった。
しかし、師匠になると、力士一人ひとりの能力や性格を把握し、長期的な成長を支える必要がある。
特に照ノ富士の場合、序二段まで転落した経験がある。
順調に昇進した力士には分からない挫折や、怪我によって番付を落とす苦しさを、自ら経験していることは指導者としての大きな特徴だ。
【2026年1月31日】照ノ富士の引退相撲と断髪式はどうなった?
照ノ富士の引退相撲は、2026年1月31日、東京・両国国技館で開催された。
2025年6月9日の部屋継承会見後に日程が発表され、当初から2026年1月31日に開催する予定となっていた。
2026年11月現在、この引退相撲はすでに終了している。
最後の横綱土俵入りを披露当日は午前10時に開場し、午前11時から興行が始まった。
大きな見どころとなったのは、照ノ富士による最後の横綱土俵入りだ。
この土俵入りでは、露払いを大の里、太刀持ちを豊昇龍が務めた。
両膝にサポーターを装着しながらも、不知火型の土俵入りを披露。現役横綱としての姿を思い起こさせる最後の舞台となった。
現役時代の照ノ富士を知る相撲ファンにとっても、特別な意味を持つ時間だった。
断髪式には約330人が参加引退相撲では、断髪式も行われた。
報道によると、約330人がはさみを入れ、照ノ富士の大銀杏に別れを告げた。
断髪式には、相撲界だけでなく、さまざまな競技や芸能の関係者も参加した。
報道で確認できる主な参加者には、次の人物がいる。
- 元横綱・白鵬翔
- 柔道の阿部一二三、阿部詩
- ボクシングの中谷潤人
- 元プロ野球選手の中田翔
- 元サッカー日本代表の小野伸二
- 競泳の北島康介
- ラグビーの稲垣啓太
スポーツ界を中心に幅広い関係者が参加したことからも、照ノ富士が競技の枠を超えて存在感を持っていたことがうかがえる。
引退相撲は現役時代に区切りをつける大切な行事大相撲の引退相撲は、単なる記念イベントではない。
現役時代の最後の土俵入りを披露し、断髪式を行うことで、力士としての姿に正式な区切りをつける意味がある。
照ノ富士の場合、2025年1月の引退から約1年後に引退相撲を実施した。
現役時代の最後の姿をファンに届けるとともに、伊勢ヶ濱親方として新たな道へ進む節目となった。
【誤解を整理】照ノ富士の引退・現在について知っておきたい事実
照ノ富士について調べると、引退の時期や親方の名前、引退相撲の日程など、時系列が混同されやすい。
特に2025年から2026年にかけては、現役引退、部屋継承、年寄名変更、引退相撲と複数の出来事が続いた。
引退は2026年ではなく2025年1月照ノ富士が現役を引退したのは2025年1月17日だ。
2026年1月31日は引退相撲と断髪式の日であり、現役引退そのものの日付ではない。
この2つは明確に区別する必要がある。
現在の親方名は照ノ富士ではなく伊勢ヶ濱引退直後は年寄「照ノ富士」だったが、2025年6月9日に伊勢ヶ濱を襲名した。
2026年現在、日本相撲協会の公式プロフィールでは伊勢ヶ濱春雄として登録されている。
幕内優勝10回と生涯戦歴は別の数字幕内優勝10回は、幕内で優勝した回数を示している。
一方、生涯戦歴523勝275敗231休は、現役時代の全体的な成績を表す数字だ。
また、231休は休場を記録した数であり、231回の敗戦を意味するものではない。
引退の理由は単なる年齢ではない2025年1月の引退時、照ノ富士は33歳だった。
引退の直接的な背景は、年齢そのものではなく、長年の怪我と身体の状態によって、自分の納得できる相撲を取れなくなったことにある。
本人の引退会見でも、気持ちと体の両面から土俵に立ち続けることが難しくなったと説明している。
【プロの結論】照ノ富士の本当の功績は復活と継承にある照ノ富士の相撲人生を評価するとき、幕内優勝10回や第73代横綱という肩書だけを見るのでは不十分だ。
本当に注目すべきなのは、次の3つの実績である。
1つ目は、大関から序二段まで転落した後に横綱へ昇進したこと。
これは、番付の厳しい階級制度の中で、再び頂点まで戻ることがどれほど難しいかを示している。
2つ目は、怪我と病気を抱えながら幕内優勝10回を達成したこと。
長期休場を経験しても、競技への復帰を諦めず、結果につなげた点に照ノ富士の特徴がある。
3つ目は、引退後に伊勢ヶ濱部屋を継承したこと。
自らの経験を次の世代へ伝える立場になったことで、照ノ富士の相撲人生は新しい段階に入った。
今後の伊勢ヶ濱親方を評価する際には、現役時代の実績だけでなく、所属力士の成長、部屋の運営、次世代の関取育成などにも注目したい。
【FAQ】照ノ富士春雄の現在・引退・伊勢ヶ濱親方に関するよくある質問
Q1:照ノ富士は現在何をしていますか?
2026年11月現在、伊勢ヶ濱春雄親方として伊勢ヶ濱部屋の師匠を務めている。現役力士としては2025年1月に引退し、現在は後進の指導や部屋の運営を担う立場にある。
Q2:照ノ富士が引退した理由は何ですか?
長年の膝の負傷などによって、本場所で思いどおりの相撲が取れなくなったことが主な理由。2025年1月場所では右膝と腰の痛みで休場し、1月17日に引退が正式承認された。
Q3:照ノ富士はなぜ伊勢ヶ濱親方になったのですか?
2025年6月に伊勢ヶ濱部屋の継承が承認され、同月9日に年寄「伊勢ヶ濱」を襲名したため。元横綱旭富士から部屋を引き継いだ。
Q4:照ノ富士の幕内優勝は何回ですか?
幕内優勝は10回。十両優勝2回、幕下優勝1回も記録している。
Q5:照ノ富士の生涯戦歴は何勝何敗ですか?
日本相撲協会の公式プロフィールによると、523勝275敗231休。82場所でこの成績を残した。
Q6:照ノ富士は大関から序二段まで落ちたのですか?
そのとおり。怪我や病気の影響で大関から陥落し、2019年春場所には西序二段48枚目まで番付を下げた。その後、2020年7月場所で幕内優勝を果たし、2021年には大関復帰と横綱昇進を達成した。
Q7:照ノ富士の引退相撲はいつ開催されましたか?
2026年1月31日に東京・両国国技館で開催された。最後の横綱土俵入りと断髪式が行われ、現役力士としての姿に区切りをつけた。
照ノ富士春雄は、2025年1月17日に現役を引退した第73代横綱である。
幕内優勝10回、生涯戦歴523勝275敗231休という輝かしい実績を残した一方、両膝の負傷や糖尿病などに苦しみ、大関から序二段まで転落するという波乱の相撲人生を経験した。
それでも2020年に幕内復帰場所で優勝し、2021年には大関復帰、さらに第73代横綱への昇進を果たした。
引退後は年寄「照ノ富士」として後進の指導を始め、2025年6月には伊勢ヶ濱部屋を継承。伊勢ヶ濱春雄親方として新たな役割を担っている。
そして2026年1月31日には、両国国技館で最後の横綱土俵入りと断髪式を終えた。
照ノ富士の物語は、現役引退によって終わったのではない。横綱として培った経験を、次の世代へ引き継ぐ新たな段階に入ったのである。
今後は伊勢ヶ濱親方がどのような力士を育て、どのような相撲部屋を築いていくのか。その指導者としての歩みも、現役時代の復活劇と同じように注目される。