ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 高市早苗の両親はどんな人?父・大休の職業と母・和子の教え、家族の真相を2026年最新解説

高市早苗の両親はどんな人?父・大休の職業と母・和子の教え、家族の真相を2026年最新解説

土森 弦 土森 弦 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
目次

高市早苗首相の両親は、どのような人物だったのでしょうか。父親の高市大休(たかいち・だいきゅう)さんは機械メーカーに勤める会社員、母親の高市和子さんは奈良県警に勤務していた女性です。両親はともに愛媛県松山市の出身で、奈良県で家庭を築きました。

高市氏は国会で、メーカー勤務の父と奈良県警勤務の母を持つ共働き家庭で育ったと自ら説明しています。大学進学をめぐっては両親と意見が対立した一方、政治家への再挑戦を決める際には、父親が退職金を選挙資金に充てると手紙で伝え、娘の背中を押しました。2026年11月現在、公表プロフィールでは両親ともに故人とされています。

【父親・大休と母親・和子】職業や勤務先、人物像を解説

高市早苗親

高市早苗氏の両親は、政治家や政治関係者ではなく、一般の勤労者として家庭を支えていた人物です。

本人が2020年3月17日の衆議院本会議で語った内容は、家族の職業を知るうえで重要な一次資料になっています。

父親・高市大休は機械メーカーの営業職

父親の名前は高市大休(だいきゅう)さんです。

報道によると、機械メーカーに勤務していた会社員で、設備機械の営業に携わっていました。

勤務先については、設備機械メーカーの「東久」とする経歴資料があります。1978年の『大阪商工名録』にも東久株式会社の大阪営業所が掲載されています。

本人の国会答弁では、父親の仕事について「メーカー勤務」と説明されています。

父親の仕事ぶりを伝えるエピソードとして知られるのが、顧客への責任感です。

営業職として取引先との関係を大切にし、仕事に対して真面目に取り組む人物だったと伝えられています。

高市氏の政治活動にも、父親の存在は大きく関わりました。

特に有名なのが、選挙への再挑戦を決める際に父親が残した手紙です。このエピソードは後半で詳しく紹介します。

母親・高市和子は奈良県警に勤務

母親は高市和子さんです。

文藝春秋の2026年10月の記事によると、和子さんは愛媛県で生まれ、県立松山北高校を卒業。その後、愛媛県庁に勤め、会計課で出納業務を担当していました。

結婚後に奈良県へ移り住み、奈良県警に勤務するようになったと報じられています。

母親の仕事については「警察官」と紹介する書籍や報道もありますが、職務上の身分や採用時期については区別が必要です。

奈良県警の公式沿革によると、女性警察官の初採用は1974年4月です。高市氏本人が国会で確認しているのは、母親が奈良県警に勤務していたという事実です。

一部の評伝では婦人少年補導員として紹介されていますが、勤務の具体的な時期や正式な職名を、本人の国会答弁だけから特定することはできません。

母親について特に印象的なのは、仕事と家庭を両立させていたことです。

高市氏が過去に記した文章を紹介した女性自身の記事では、育児や祖父の看病を抱えながらも、仕事を続け、家事や子どもの弁当作りにも取り組んでいた母親の姿が紹介されています。

両親の基本プロフィール
項目 父・大休 母・和子
名前 高市大休 高市和子
出身地 愛媛県松山市 愛媛県松山市
職業 機械メーカー勤務 奈良県警勤務
経歴の特徴 設備機械の営業職 愛媛県庁勤務を経て奈良県警へ
人物像 勤勉で責任感が強い 仕事と家庭を両立する厳格な母
公表されている現在 故人 故人

【両親の出身地は愛媛県松山市】奈良で育った高市家の家庭環境

高市早苗氏といえば奈良県出身の政治家というイメージが強いですが、家族のルーツをたどると愛媛県松山市に行き着きます。

父も母も愛媛県松山市で育った

文藝春秋の2025年11月の記事では、父・大休さんと母・和子さんは、ともに愛媛県松山市の出身と報じられています。

母親は松山北高校を卒業後、愛媛県庁に勤務していました。

父親も松山市で育ち、2人は同郷の出身者として結婚。その後、奈良県へ移り住んでいます。

高市氏自身も愛媛県とのつながりを大切にしてきました。

2025年7月の愛媛県での街頭演説では、次のように語ったと文藝春秋が報じています。

「私の体と心の半分は、愛媛県民です」

奈良県で生まれ育った高市氏にとって、愛媛は両親の故郷であり、親族とのつながりが残る土地でもありました。

奈良市から橿原市へ移った幼少期

高市氏は1961年3月7日、奈良県奈良市で生まれました。

幼少期には奈良市で暮らし、小学校3年生の頃に家族で橿原市へ転居しています。

その後、橿原市立畝傍南小学校、橿原市立畝傍中学校を経て、奈良県立畝傍高校へ進学しました。

父方の祖父も幼少期の高市家で一緒に暮らしていたことが報じられています。

つまり、父母と弟だけでなく、祖父も身近にいる家庭環境だったのです。

弟・知嗣との関係も政治活動につながった

高市氏には弟の高市知嗣(ともつぐ)さんがいます。

2020年の国会答弁で、高市氏は弟が自民党本部の職員だったことを明かしています。

その後、弟は職を辞して、姉の政治活動を手伝うために奈良県へ戻りました。

2025年の文藝春秋の記事でも、知嗣さんは高市氏の秘書として紹介されています。

家族の関係を整理すると、次のようになります。

- 父・大休:機械メーカー勤務。娘の政治活動を後押しした人物。
- 母・和子:奈良県警勤務。家庭でのしつけを重視した人物。
- 本人・早苗:奈良県出身。神戸大学を卒業し、政治家へ。
- 弟・知嗣:姉の政治活動を支え、秘書を務めた人物。

【母親から受けた教育方針】高市早苗の人格形成に影響した家庭の教え

高市氏が自身の生い立ちを語る際、繰り返し登場するのが両親から受けた教育です。

特に母親の和子さんは、娘に対して厳しいしつけを行っていたことで知られています。

両親が繰り返し教えた4つの価値観

文藝春秋の2025年11月の記事では、高市氏が両親から教えられたこととして、次の内容が紹介されています。

1. 他人に迷惑をかけない。
2. 職業に貴賤はない。
3. 他人の悪口を言わない。
4. ご先祖様に感謝する。

幼少期には教育勅語を暗唱するよう教えられたことも、本人が過去の発言で紹介しています。

こうした家庭での教育は、単に勉強の成績を上げることだけを目的としたものではありませんでした。

働くことへの敬意、人との接し方、礼儀、家族や先祖を大切にする姿勢など、日常生活における行動規範が重視されていたことが分かります。

母親の口癖「真っ赤なバラのようであれ」

母・和子さんの教えとして、特に知られている言葉があります。

「真っ赤なバラのようであれ」

これは高市氏が29歳だった1990年に刊行された書籍『母の教え──日本人の心の原点を求めて』に記した内容です。

文藝春秋の2026年10月の記事では、この言葉について、女性であることを忘れずに華やかさを持ちながら、間違ったことには毅然と向き合う強さを持つように、という意味が込められていたと説明しています。

母親の教育には、厳しさだけではなく、女性として自立して生きることへの願いもあったと考えられます。

99点でも褒めなかった母親

母親の厳しさを象徴するエピソードが、小学生時代のテストです。

文藝春秋の2026年10月の記事によると、高市氏が99点の答案を持ち帰った際、母親は褒めるどころか叱ったといいます。

理由は、失点が知識不足ではなく不注意によるものだったからです。

後になって母親は、当時あえて厳しく接したのだと説明したとされています。

このエピソードからは、和子さんが結果だけでなく、取り組み方や注意深さも重視していたことがうかがえます。

一方で、高市氏は母親との関係について、厳しいしつけだけでなく、母親がバスケットボールの試合を応援に来てくれた思い出も語られています。

厳格さと娘への関心が共存する親子関係だったようです。

【大学進学には両親が反対】神戸大学への進学をめぐる親子の対立

高市氏の生い立ちで、もう一つ注目されるのが大学進学をめぐる両親との意見の違いです。

現在の首相という立場からは想像しにくい可能性がありますが、大学進学の際には、親から経済的な支援を受けられない状況に直面していました。

両親は短期大学への進学を希望していた

2025年10月22日、テレビ朝日の番組で高市氏は、学生時代の家庭環境について語っています。

両親は、当時の女性の就職事情を踏まえ、短期大学への進学を希望していました。

卒業後は地元の銀行や県庁、近鉄電車などに就職し、早く結婚して安定した家庭を築いてほしいという考えだったといいます。

高市氏自身は4年制大学への進学を希望していましたが、両親からは短大以外に進学する場合、学費を出さないと告げられました。

アルバイトで受験費用と大学の学費を工面

高市氏は両親の希望とは異なる進路を選びました。

高校時代から飲食店や着ぐるみの仕事などでアルバイトをし、受験費用を貯めていたとテレビ朝日のインタビューで明かしています。

神戸大学に入学した後も、家庭教師など複数のアルバイトを経験しながら学費を賄いました。

最終的に進学したのは、神戸大学経営学部経営学科です。

その後、1984年に大学を卒業し、松下政経塾に入塾しています。

この経歴から分かるのは、両親が希望した進路と、高市氏自身が選んだ進路が必ずしも一致していなかったということです。

大学進学への反対は娘の可能性を否定したものだったのか

ここは慎重に捉える必要があります。

両親が希望していたのは、短大を卒業して地元で就職し、結婚して安定した生活を送るという当時の一般的な人生設計でした。

政治家の家庭ではなく、共働きの一般家庭だったことも踏まえると、親として経済的な安定を重視していた背景が見えてきます。

ただし、父親は後に高市氏の政治活動を支援することになります。

大学進学では反対していた父親が、政治家への挑戦では応援する側に回ったという変化は、高市家の親子関係を理解するうえで重要です。

【父親から届いた選挙の手紙】大休が娘の政治家人生を後押しした瞬間

高市早苗氏の両親に関するエピソードの中でも、特に象徴的なのが父親から届いた手紙です。

この話は、テレビ朝日の2025年10月22日の報道だけでなく、本人が国会で語った記録にも残っています。

最初の選挙では資金を自分で準備

高市氏は1992年、31歳で初めての選挙に挑戦しました。

出馬に必要な資金を自分で用意するため、生活費を切り詰めて貯金を続けたと本人が説明しています。

しかし、最初の挑戦では落選しました。

再び政治の世界に挑戦しようとしたときも、周囲には反対する声がありました。

連続して落選すれば政治生命が終わるという懸念もあったためです。

父親が退職金を選挙資金に使うよう伝えた

そんなとき、高市氏が実家に帰ると、台所のテーブルに父親からの手紙が置かれていました。

高市氏によると、それまで父親から手紙をもらった経験はほとんどなかったといいます。

手紙には、退職金を選挙費用に使ってよいという内容が記されていました。

特に印象的なのが、次の言葉です。

「握手とお辞儀を忘れるな」

父親は娘の政治活動を資金面で支援するだけでなく、選挙に臨む姿勢についても助言していたのです。

高市氏はこの手紙に感動し、出馬する決意を固めました。

父の応援を受けて1993年に初当選

2020年3月17日の衆議院本会議で、高市氏はこの手紙について自ら説明しています。

手紙を読んだ翌日に出馬表明の記者会見を行い、その選挙でトップ当選を果たしたと語りました。

この記録は、父親が単に娘を応援していたという抽象的な話ではなく、実際の政治家人生の転機に関わったことを示しています。

大学進学には反対した父親が、最終的には退職金まで差し出して娘の挑戦を支えた。

この変化こそ、高市家の親子関係を象徴するエピソードです。

【プロの結論】高市早苗の両親は現在どうしている?故人の公表情報と家族の真相

2026年11月現在、高市早苗氏の両親はともに亡くなっています。

本人の公式プロフィールには、尊敬する人物として松下幸之助氏とともに「両親(故人)」と記されています。

また、2020年3月17日の衆議院本会議でも、高市氏は「今は亡き両親」への感謝を述べています。

文藝春秋の2025年11月の記事では、父・大休さんは享年79、母・和子さんは享年86と紹介されています。

両親の没年や現在について
確認事項 公表情報
父・大休 故人。報道では享年79
母・和子 故人。報道では享年86
両親の出身地 愛媛県松山市
父親の仕事 機械メーカー勤務
母親の仕事 奈良県警勤務
本人の公式プロフィール 両親を故人と記載

高市早苗の親に関するよくある誤解

両親について調べる際には、いくつかの情報を混同しないことが大切です。

誤解1:両親とも奈良県出身だった?

両親は愛媛県松山市の出身です。奈良県は高市氏本人が生まれ育った土地です。

誤解2:母親は奈良県警の警察官だった?

本人が国会で説明したのは、母親が奈良県警に勤務していたということです。具体的な職務上の身分や正式な職名については、県警勤務という事実と区別する必要があります。

誤解3:両親は大学進学を全面的に応援していた?

実際には短大進学を希望しており、4年制大学への進学には反対していました。高市氏は自分で学費を工面して神戸大学へ進学しています。

誤解4:父親は政治活動に反対し続けた?

最初から賛成していたわけではありません。しかし、選挙への再挑戦を決める場面では、退職金を選挙費用に充てると手紙で伝えています。

高市早苗の家族に関する情報を見極める判断基準

家族の情報を調べるときは、次の3点を意識すると事実関係を整理しやすくなります。

- 本人の国会答弁や公式プロフィール: 職業、家族関係、両親が故人であることなどの確認に適している。
- 本人の著書や過去の発言: 家庭で受けた教育や親子関係を理解する手掛かりになる。
- 新聞・雑誌の親族取材: 松山市での家族のルーツや両親の経歴など、公式プロフィールにない背景を知ることができる。

特に、両親の出身地や職業、母親の警察での具体的な職務などは、報道の紹介と本人が公に確認した内容を分けて読むことが重要です。

【よくある質問】高市早苗の両親に関するFAQ

Q1:高市早苗の父親の名前と職業は?

父親は高市大休さんです。機械メーカーに勤める会社員で、設備機械の営業職に従事していたと報じられています。勤務先は東久とする経歴資料があります。

Q2:高市早苗の母親の名前と職業は?

母親は高市和子さんです。愛媛県庁で働いた後、奈良県警に勤務していたことが報じられています。

Q3:高市早苗の両親はどこの出身?

父親と母親はともに愛媛県松山市の出身です。高市氏本人は奈良県奈良市で生まれ、橿原市などで育ちました。

Q4:高市早苗の両親は現在も健在?

いいえ。父・大休さん、母・和子さんともに故人です。本人の公式プロフィールにも両親は故人と記載されています。

Q5:高市早苗には弟がいる?

弟は高市知嗣さんです。姉の政治活動を支え、秘書を務めた人物として報じられています。

Q6:高市早苗は両親に大学進学を反対された?

はい。両親は短期大学への進学を希望していました。高市氏は4年制大学への進学を望み、自分で受験費用や学費を工面して神戸大学に進みました。

Q7:父親が選挙のために手紙を書いたという話は本当?

本当です。高市氏本人が2020年3月17日の衆議院本会議で、父親から退職金を選挙費用に使ってよいという手紙を受け取り、それを読んで出馬を決意したと説明しています。

高市早苗氏の両親は、愛媛県松山市出身の一般の勤労者でした。父・大休さんは機械メーカーに勤め、母・和子さんは愛媛県庁を経て奈良県警に勤務。2人は奈良県で家庭を築き、娘と弟を育てました。

家庭では礼儀や勤労、他人への配慮を重視し、母親は厳しい教育を行いました。大学進学では親子の意見が対立しましたが、父親は後に退職金を選挙資金に充てると手紙で伝え、政治家への再挑戦を後押ししました。

高市氏の歩みを理解するうえで見逃せないのは、両親が常に本人の希望に賛成していたわけではないという点です。安定した生活を願う親の考えと、自分の進路を切り開こうとする娘の意志。その両方が存在した家庭でした。

2026年現在、両親はすでに故人ですが、本人の公式プロフィールや国会での発言、過去の著書には、両親への敬意と感謝が残されています。高市早苗という政治家の原点を知るうえで、父・大休さんと母・和子さんの存在は欠かせないものです。

同じカテゴリの記事

土森 弦

アニメ・漫画の制作発表を担当。制作会社と出版社の公式告知、原作者コメントを確認してから記事化します。

おすすめの関連記事